シャーリープトラとマウドゥガリヤーヤナ

シャーリープトラ(舎利弗)とマウドゥガリヤーヤナ(目連)は、、、釈迦10大弟子で、、舎利弗は智慧第一と言われマガダ国の王舎城(ラージャガハ)北、那羅陀(ナーラダ、現ナーランダー)村出身で裕福なバラモンの家に生まれた、、、

目連は神通第一と呼ばれマガダ国の王舎城北、拘利迦(コーリカ、或いはコーリタ)村の バラモンの裕福な家に生まれた、、と言われています。

二人は隣村どうしで仲が良く、、容姿端麗で一切の学問に精通していた。
そして二人は、、当初、500人の青年の仲間達を引き連れて「サンジャヤ・ベーラッティプッタ」に弟子入りしたが満足せず、「もし満足する師が見つかれば共に入門しよう」と誓った。

師匠の「サンジャヤ・ベーラッティプッタ」は、、別称「うなぎ論法」を得意としており、、ジャイナ教の「不可智論」という論者であった、、、。

「うなぎ論法」??、、おいしそ、、いや、、おもしろそう、、、

形而上学的な重要問題に対して曖昧な回答をし、判断を中止する態度をとったといわれる。たとえば、「来世があるのか」という問いに対し、「あるとは考えない、来世があるとも、それとは異なるとも、そうではないとも、また、そうではないのではないとも考えない」と、とらえがたい議論をしたという。

、、しかし、、このような謎かけのようなトンチ論法は、、禅宗の禅問答に似ているのか、、、

ただ、、舎利弗は、、二人より先に釈迦の弟子になっていたアッサジ(阿説示;最初の5大弟子)比丘と出会い、、彼の話を聴いて納得し、、親友の目連とサンジャヤ仙人の弟子250人を引き連れて、、釈迦に帰依した、、、。
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<棟方志功>

釈迦の10大弟子の中でも、最初に釈迦の教えを理解して、、法華経で最初に仏陀になれると授記(予言)された舎利弗ですが、、出会ったアッサジには恩を感じて寝るときには決してアッサジのいる方にに足を向けて寝ることは無かったという話もあります。

ただ、、、サンジャヤ仙人さんは、弟子250人を連れ去られたうえに、、舎利弗から釈迦の弟子になるように逆に勧誘され、、悩んで血を吐いたそうです、、。
「うなぎ論法」は、、どうたら信頼されなかった?、、、のです。

■三車火宅の譬え
シャーリープトラ(舎利弗)に頼まれた釈迦が、、法華経の方便品,譬喩品で譬えを語ります。方便とは手段、譬喩は譬え話、、でしょうか。

ある資産家の邸宅が火事になってしまった、、、。
家の中には子供達が遊びに夢中で火事に気が付きません。
資産家が「火事だ」と叫んでも遊びに夢中で聴く耳を持ちません。

子供達は、今は楽しいけれど、このまま放っていたら、焼かれて苦しんで死んでしまう、、。
なんとか、しなくては、、、
そのとき、資産家は、子供たちが日ごろから、おもちゃの乗り物を欲しがっていたのを思い出しました。

そこで、、3種類の玩具の車(羊の車、鹿の車、牛の車)が門の外にあるから出ておいで、、と言うと、、子供達は一目散に飛び出してきたので命が助かりました、、。

その後、子供たちが「お父さん、約束の車をください」というと、、資産家は、本物の純白の牛に引かれた車(大白牛車)を与えました、、子供達は悠々といろんな所を游歩したのです。

ここでは、、、資産家は仏陀、、、邸宅は迷いの世界、、遊びに夢中の子供は衆生、、三種類の玩具の乗り物は声聞乗、独覚乗、菩薩乗という乗り物で、、本物の大白牛車は仏乗のことだったのです、、、。

※シャーリープトラ(舎利弗)とマウドゥガリヤーヤナ(目連)や他の10大弟子達、、、現役釈迦時代の大物を、、釈迦滅後800年後に、、如是我聞、、というマジナイを唱えることで、、、時空を超えて生き生きと蘇させる、、この手法は、、やがて漢訳されることで新たな進化をしていくのだ、、、。

日本の仏教のほとんどは、、、、

その方の名は鳩摩羅什(くまらじゅう、くもらじゅう、サンスクリット:Kumārajīva, कुमारजीव、クマーラジーヴァ)、350年 – 409年、一説に344年 – 413年とも)
の翻訳によるものです。

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