「D地点」で誕生した  (googlの旅  )

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人工衛星から見ると「D地点」で誕生した。
その方の両親は、色が白く、背が高く、彫りの深い顔立ちで、目は青く

その祖先は、黒海のほとりからこのオアシス都市に移動してきたアーリア人と言われています。

日本の仏教がインドの釈迦族から法典を直接受けとったという話は聞かない。
その殆どは中国を経由している。、、とすれば、仏陀誕生地 ネパールのルンビニ「A地点」、ブッダガヤ、ナーランダ、ラージャグリハ、、、伝来する中で、重要な翻訳者が存在することになります。
仏典を伝えた多くの三蔵法師の中で西遊記で有名な「玄奘三蔵」は日本ではよく知られています。
そして「D地点」で誕生したその方もあまりにも有名です。

素人の直感ですが、その方の立場、環境から心ならずも翻訳できない部分もあった。、、
秘密経(密教)の訳とは全く別に、仏典翻訳に潜む、「ダ.ビンチ.コード」ならぬ仏教版「クマラ・コード」?なるものが、存在するのでは、、と思えてなりません。、、、
謎解きのgooglの旅は続きます。
画像
<この頃の仏陀はイケメンだ、、パキスタン 2~3世紀>

さて、
当時、キジ国(クチャ)と言われて平和で豊かなこの都市「D地点」は東西を結ぶ商業の要所でもありました。
東には中国、北にはモンゴル、西にはカザフスタン、南にはインド、パキスタン、アフガニスタンがあり
この時代の近隣の文化交流が推測されます。



D; [中華人民共和国新疆ウイグル自治区クチャ周辺」
「A2: 玄奘三蔵が学んだナーランダ仏教大学」
「 A3: 釈迦が悟りを開いたブッダガヤ 」
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母ジータは美しい人で近隣の王子からプロポーズされたが断り続けていました。
兄である国王が、インドから修業中のクエマランという法師を国師として迎えると、一目で惚れてしまい
王命により結婚します。生まれたのが、その方です。

7歳のとき、母ジーダと共に仏門に入り、9歳の時(358年)母とともに険難なパミール高原を超え、インドのカシミール「B地点」に留学します。
人工衛星から見ると、ここはインドと言っても、パキスタンとアフガニスタン国境の近くです。
青い眼の母と子が、この地域で学んでいても何の違和感はなかった、、と言うよりは同族の地であったでしょう。


※この地を訪れた唐の玄奘は疏勒を仏教が盛んな国であると記述している。

C; 「カシュガルは大都市だ googl」

この時の師バンズダッタは、この方を「神俊の才」と誉め、「舎利沸の再来」とまで讃えたと言います。

3年の留学の後、帰路の途中でカシュガル「C地点」という土地に留まり、仏教以外の声、工、医、因、内の五明のほか占術、兵法などの知識を習得しました。

この時にこの他でヤルカンドの国から修業に来ていた王子スリヤソマ(須利耶蘇摩)と出会います。
スリヤソマ王子は当時最新の思想である大乗経を修業していました。

その方が今まで学んできた、最上と思っていた上座仏教とここで出会った法典とはまるで世界観が違っていました。
この大乗仏教との出会いに、「黄金の輝きを知らず、銅の輝きを最上と思っていた、、」と気がつき、その方はたちまち回心して大乗仏教の修業に没頭します。

その方の転向が、やがて中国、日本の仏教に「根本的な影響」を及ぼすことになります。
———–

キジ国に帰ったその方は大乗経を説き、その名声は遠く中国にまで知られることとなりました。

この時代、中国は五胡十六国の時代から前秦になっており、三代目の王、符堅は仏教の摂取に熱心で、その方の招へいを要請します。、、、がキジ国王はこれを断ります。

商業の要所でもあるこの国を治めるために、強国の王、符堅王は(382年)呂光将軍に七万の兵を与えてキジ国への遠征を実行するのです。

呂光は対抗するキジ国連合軍を滅ぼし、その方を捕虜としてつれ、長安へ向かいます。
ところが帰る途中で、呂光のもとに主君「符堅王の死」が知らされます。

時代は代わり、帰る先を失った呂光は姑蔵(武威)「F地点」に留まり、王となって16年間この地を統治することとなりました。

ここでの16年間、その方は呂光に仕えながらも、漢語を完璧に自分のものとし、中国古典の学識を身に付けます。

———–

異国での不自由な生活の中で、その方は若く美しい母ジータのことを思い起こしていました。

気丈な母でした。7歳で出家を勧める母は、自身も比丘尼への出家を申し出ますが、家族に猛反対されたため
母はハンガーストライキを強行します。
「この子と一緒に出家させないなら、死んでやる!、、」
この抵抗に家族はジータの出家を許さざるをえませんでした。

9歳の時には二人で一緒にカシミールに修業の旅をした。
帰り道には運命的な大乗経との出会いがあった。
そして20歳のときに受戒して正式な僧となった。
いつも母がそばにいた。

母ジータは言います「貴方は立派な僧になりました。私の役目は終わったのです。私は私自身の仏道修行のため再び天竺(インド)に旅立ちます。、、もう二度と会えないかも知れません、、、。」

「貴方はきっと使命を持って生まれてきたのです。東方の国の人々に、貴方の信ずる大乗の法典を伝えるのです。、、、悔いの無いように、、貴方の心の命ずるままに、、。」

そうだった。あの時私は母に誓ったのだ「この教えを伝え、多くの人々を悟りに至らしめます。どんな苦難があろうと私は悔いることはありません」

「ああ、、、、、それにしてもマイペースな母であった 、、、。」

その方の胸中に再び弘通の炎が燃えあがります。
「はるか昔より弘教のために、荒野に砕け散った名も無き星たちよ、、、今、大白法が東の国で、苦土の闇を照らす時が来る、、、」

長安に近いこの地で、仏典翻訳の決意は着実に固められていきました。

このころ既に都の長安からは、この方の高名を慕って多くの僧が訪れています。
また武威には、十三層塔の鳩摩羅什寺と言う寺があり、そこに「舌舎尊師」と書いた額が掲げてあるそうです。
この意味は後で分かります。

前秦が滅び、後秦国の2代目の姚興は6万の兵をもって、呂軍を滅ぼし、その方を姑蔵から長安の都「地点G]に呼び寄せます。

ようやく、東国の都に着いた(401年12月20日)このときその方は、52歳でした。


「城壁に囲まれる 長安(現在の西安の街) googl 」

姚興は「その方」に、経典の漢文への正しい翻訳を依頼します。

「その方」は、運命で約束されたように、この長安でいっきに、35巻、294部の仏教経典を漢訳します。
「妙法蓮華経」 「阿弥陀経」 「涅槃経」 「維摩経」 「般若経」

など日本の仏教の拠り所となる経典の多くがこの時に翻訳されたのです。
この方の苦渋の人生からの翻訳は、原語とは異なるとも言われています。
長安で60歳(他に70歳説あり)で没する時

「私は外国人として、この国に来て、三百余巻の経典の翻訳に当たりました。どうか本旨を極めて間違わないようにして欲しいのです。私が翻訳した大乗仏教の真髄を皆さんに伝えたことに間違いが無ければ、私が焼かれた後、私の舌だけは残るでありましょう、、、、、、、」という言い伝えがあります。

最後の最後でマジックを見せるなんて、案外オモシロイ方なのかもしれません 

この方が誕生したキジ国(クチャ)もイスラムの進出により仏教は太陽が沈んでいくように消えていきます。
晩年、故郷に帰りたいとも語ったこの国

現在 中国新疆ウイグル地区クチャ「D地点」はイスラム教徒による暴動と政府の弾圧により世界の注目となっているのです。

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追記

■基本的で重要なことがある。世界の3大宗教の祖と言われる釈迦(前463?  )、キリスト(前4-28  )、ムハマド(マホメット)( 570-632 )は共通して自身では文書を残してないことです。後に編纂される仏典、聖書、コーランなど経典の(歴史的)背景を知ることが必須かと。2009.10.09

※こんな視点もあるので注記する。

法華経と聖書
諜報謀略講座 ~経営に活かすインテリジェンス~
上座部と大衆部の情報戦略として法華経は編集された?
東京農大 松下博宣
第6講:語られ得ぬ法華経の来歴
「法華経」は、だれによって、なぜ、どのようにして書かれたのか。「諜報謀略論」の視点からこの問いに答える試みは本邦初と思う。諜報謀略論は新たな発 見や異質な発想をもたらし、奇想天外、意外なことがらを浮き彫りにする。そこから、人の心を揺さぶる

————————–
>>分裂したグループが法華経を創作した
そもそも啓示宗教であるユダヤ・キリスト教では、経典テキストを確定するために並々ならぬ努力がなされてきた。そして確定された経典テキストに対する解釈の違いが公会議で議論され、正統・異端を生んできた。

だが仏教では、仏陀入滅後、経典テキストを確定するために「結集」(数百人の僧が集まって経典の内容を議論する会議)が数回開かれたが、その後はかなり 自由に経典テキストが創作された。経典テキストの創作が自由ならば解釈も自由。だから、ユダヤ・キリスト教の言説に起こったような正統・異端の議論をその まま単純に仏教に当てはめることはできない。
、、、、、、。
>>>法華経と原始キリスト教との奇妙な符号
ただし、突然変異と言っても、瓢箪(ひょうたん)から駒のように法華経がポンと出てきたわけではない。実は、大衆部の僧らがあるものを参照した(影響を受けた)と考えられている。それは、原始キリスト教の福音だった可能性がある。

こう言ってしまうと、「仏教のなかにキリスト教が入っているわけがあるまい!」「そんな、とんでもない!」という反応もあるだろう。

しかし、一概にそうとも言えない理由がある。ちょっと面白いので紹介させていただく。「法華経」をフィクション・ライティングしたときに参照したのは原始キリスト教だったということの根拠として、(1)時代背景と(2)「法華経」の論理構成をあげてみよう。

>>>>「如是我聞」という虚偽の文言
創作物語としての法華経は原始キリスト教の福音から伝播された論理構成を利用して生成されたと考えることができるだろう。しかし、状況証拠が中心で、立証に必要十分な根拠が整っているとは言えないので、ここでは原始キリスト教伝播説をいったんは横に置いておこう。

しかし、法華経に多用されている「如是我聞」という虚偽の文言には逃げ道がない。この点は非常に重要だ。

——————

これについての感想ですが、、、、
素人の思いとしては、、「全ては歴史の産物、、」といった一言に尽きる、、、。

ヒンズー、仏教、ユダヤ、キリスト、イスラム、、全ての文化や宗教は、人類の智的資産の蓄積、、で成り立っている、、ことを、、逃れられない、、、、、。、
仏教がヒンズーから生まれたように、、キリスト教はユダヤ教から生まれた、、
その時代に応じるように、、、いかにも、新発見の如く、、
悟り(bodhiボーディ、बोधि )は創造されて、、社会の変化と共に編集されてきた、、、
つまり、所詮は、、
宗教も、、生命のツリーと同じように、、進化論を経てきたもの、、だ、、。
進化は、、環境の変化対応していて、、生存の姿を変化させてきた、、、のだ、、。
変化は、、生物だけではない、、、

あるDNAを持って生存してきた情報資産の一つの姿が、、仏教なのだ、、。

つまり、、多種多様な存在、、、が、、なんらかのDNA(※一貫性)を持って進化しているのだ、、、。
異なってしまった種を「正統」か「異端」かの、議論はあってもいいが、、、基本的に進化は止まらない、、、。

松下氏は、ゴータマ・シッダルタとキリストを、、同じ一神教の主ととらえて、法華経が仏陀の言葉ではないから、、「騙す」とか、「虚しい」、とか、「後味が悪い」とかと、、ゲスな捉え方になってしまっている。

氏は、、仏教の持つ柔軟性、多元性を評価していない、、仏陀とは悟りを開いた人達、、したすら自他の安穏を求める多くの仏陀は、、仮に、、絵にすると、、金剛界曼荼羅のように、、大日如来と東西南北(世界に)湧出する菩薩達の、、知恵の総合力(ネットワーク)、、という表現になる、、のだ、、、。

大乗仏教の編纂の過程で、、例えば、竜樹(180~260)や鳩摩羅什(~405~)によって編纂翻訳された法華経の中に、、、聖書の発想が入り込んだとしても、、不思議はない、、。
年代的に言えば、、、上座仏教が、教祖シッダルタの説教に、近いと言われても、、、これですらシッダルタ教のDNA(※一貫性)を持った種だ、、。

なにせ、、、教祖は書籍を残していないのですから、、、。

次に、、大胆に言ってみる、、「久遠本仏」とはDNAのことだ、、、
実在の釈迦が王子として、この世に生まれて、悟りを開く、、ずーと以前に、、すでに仏であったとする、、法華経如来寿量品の久遠本仏だが、、素人の見解では、、翻訳段階で、、理解不能な内容となっただけで、、

釈迦は、自分の悟り(成仏)とは、、時間、空間的な広さの中に存在する真理、、とか、、妙法、、と表現(翻訳)するに至った、、人類が、、あるいは、、人類以前(久遠)から、、無始無終(ゼロの世界とでもいうのか)、、あるいは、遠い昔より、、蓄積してきた「智的資産」、「情報資産」「DNA]の上に成り立ったのだ、、と法華経如来寿量品で、、言いたかった、、、のではないか、、。

※「今ある私は、久遠より引き継がれた遺伝子によって存在するので、久遠に私は悟りを開いたと言っても過言でない」

と、、釈迦滅後、、800年位になって、、大乗仏教の編者たちは言いたかった、、、。

「如是我聞」とは、、一般的には、、、「私は仏陀から各の如く聞いた」、、とするが、、、
氏は、この「如是我聞」による、、「ゆらぎ」、、、「ノイズ」、、を天台智顗ですら見抜けなかった、、として、これを「謀略」としているが、、、
如是我聞とは、、まさしく「ゆらぎ」であり、、進化である、、、2000年を経て、なお、、現代文明に耐えられる情報は、、その進化の価値を証明している。

例えば、、「仏陀に聞いた」->「主の啓示」、、とかに置き直したらどうだろう、、
原始キリスト教や、、ユダヤ教が、、変質、、習合してきたように、、仏陀の経は進化してきたのだ、、、正統か異端かに最大の価値があるとすれば、、それは、それでもよい、、、。

決して、、唯一神キリストの言葉(聖書、福音;これもキリストが書いていないので怪しいが、、)と、、如是我聞は、、同意では無い、、、。

、、、と素人は、、、勝手に思う、、、。
2013.07.xx

※少し、学問的に言うなら、、、仏教がヒンズー教をベースとして進化し、、ヒンズー経はバラモン教を取り入れて進化した、、このことは、、、紀元前1500年に遡るのだ、、インドアーリア人の文献では、、ウ”エーダ(知る)は、シュルテイ(天啓聖典)と呼ばれ、、創作されたものでは無く、、永遠の過去から存在するもので、、、詩的霊感(デイー)を備えるた聖仙(詩人)により超越的に啓示を受ける知識という、、ことになる。

つまり、、このことから「久遠本仏」という語訳を想像すればバラモンのシュルティを意味する、「永遠の過去からの存在する知識」と同意であろう、、、かと、、、。

※2014.02.10追記
それでは、、、キリスト誕生より300年も前に、、アレキサンダー大王が中央アジアに進出、、
ガンダーラ地域で、、仏教と出会っている、、、また、その後の征服者クシャン帝国(前200年頃)の、カニシカ王が仏教に帰依している、、、。

この地域では、、ギリシャの神と仏教が習合した、、、。
むしろ、、キリスト以前の、、ギリシャの神やユダヤ教やジャイナ経と仏教は互いに影響し合ったのではないか?
、、とすれば、、むしろキリストは東国の師、仏陀に影響された遺伝子を持って、、異端宗教、、、と言われたのではないか、、。

※一貫性と習合、、、進化とDNA、、という、、多くの場面で見られる、ごく一般的な姿こそ、、現実なのだ、、存在へ懸命な一貫性を貫こうとする力、、と、、環境とのバランスによって派生する多様性を否定しない、、という自然の持つ寛容性こそが、自己絶滅から逃れる術となって進化している、、のではないか、、、、。

拙者Blog「さいたま」に渡来した玄奘三蔵法師 その⑤ ガンダーラの仏典
「さいたま」に渡来した玄奘三蔵法師 その⑤ ガンダーラの仏典
※、、、玄奘三蔵法師一行は、、東南に山道を進むこと五百里あまり、、健陀羅国(ガンダーラ国)に至った、、。 この国の東は信度河(インダス河)にのぞみ、、都城は布路沙布羅(ペシャワール)という。 ※ガンダーラはギリシャ史料に、、Gandarae...

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※気になる松下博宣(東京農業大学・東京情報大学看護学部教授)さんのその後のBlog追跡
2020.01.01

前回の「上座部と大衆部の情報戦略として法華経は編集された?」
から、やや修正されています、特に「法華経と福音書の論理構成は同じなのである」
と言及する。

第6講:語られ得ぬ法華経の来歴
分裂したグループが法華経を創作した
法華経と原始キリスト教との奇妙な符号
「如是我聞」という虚偽の文言
「如是我聞」の謀略効果は甚大極まる
インテリジェンスが増幅させた歴史的バタフライ効果
第6講:語られ得ぬ法華経の来歴
「法華経」は、だれによって、なぜ、どのようにして書かれたのか。「諜報謀略論」の視点からこの問いに答える試みは本邦初と思う。諜報謀略論は新たな発 見や異質な発想をもたらし、奇想天外、意外なことがらを浮き彫りにする。そこから、人の心を揺さぶる

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——-遺伝子–Wiki——–
遺伝子はDNAが複製されることによって次世代へと受け継がれる。複製はDNAの二重らせんが解かれて、それぞれの分子鎖に相補的な鎖が新生されることで行われる。

本質的には「情報でしかない遺伝子」が機能するためには「発現」される必要がある。
発現は、一般に転写と翻訳の過程を経て、遺伝情報(= DNAの塩基配列)が「タンパク質」などに変換される過程である。
こうしてできた「タンパク質」が、ある場合は直接特定の生体内化学反応に寄与して化学平衡などに変化をもたらすようになり、ある場合は他の遺伝子の発現に影響を与え、その結果形質が「表現型」として現われてくる。

「転写」はDNAからRNA(mRNAやrRNAなど)に情報が写し取られる現象であり、「翻訳」はmRNAの情報を基に「タンパク質」が合成される過程である。
この過程はセントラルドグマとも呼ばれる。
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■白氏
古代キジ国の国王は白氏(はくし)と称し、トハラ語(ギリシャ語系)を言語とした白人と言われています。
「白」を名乗る家系はこの種族とも言われているそうで、だとすると、「白」はキジ国の文化歴史を知る上で、、、いや、、仏教史上のキーワードになるのかも知れない。
もっと膨らますと、翻訳法典の中に数々の「白」が忍ばされているのではないか。、、と思ってしまう。
たとえば、最重要な語となる「白法隠没(びゃくほうおんもつ)」であり、「大白牛車」、「白蓮」,[白鷺池」などである。、、、、、、、、。

※正しい教えの白蓮
Sad-dharma-pundarika-sutra
(妙-法-白蓮華-経)

サンスクリット語の原典「サッダルマ・ブンダリ-カ.スートラ」邦訳(正しい教えの白蓮)とは、妙法蓮華経のこと、、。
岩波文庫「法華経 上」坂本幸雄 、岩本 裕 から、、まさしく「白」はキーワードではないかと、、、。

※しかし、、、、、羅什は、、このうち「ブンダリーカ」=「清浄な白い蓮華」を漢訳で白蓮華とは訳さなかった。「妙法白蓮華経」だと、、、語呂が悪かったのでしょうか?中国では白い蓮より華やかな色彩の方が馴染む、、と考えたのでしょうか?、、今となれば、、日本で、、「南無妙”白”蓮華経」だと、、、新たな新興宗教かと言われそうだ、、、。

※なお、、法華経二十八品のうち、、二十三から二十八(薬王菩薩本事品~普賢菩薩勘発品)の六品は、、梵本原本に後から付加されたものと言われる。

※法華経は、大乗派の「如是我聞」によって時間を得て次第に完成されてきたのだ、、その完成は紀元50~150年と言われています。

※白蓮社
白蓮教(びゃくれんきょう)は、中国に南宋代から清代まで存在した宗教。本来は東晋の廬山慧遠の白蓮社に淵源を持ち、浄土教結社(白蓮宗)であったが、弥勒下生を願う反体制集団へと変貌を遂げた。天台宗系の慈昭子元( – 1166年)が創始した。

南宋孝宗期に慈昭子元が創始した。当初から国家からも既成教団からも異端視されていた。それは、半僧半俗で妻帯の教団幹部により、男女を分けない集会を開いたからだとされる。元代には、廬山東林寺の普度が「廬山蓮宗宝鑑」10巻を著し、大都に上京して白蓮教義の宣布に努め、布教の公認を勝ち得たが、すぐにまた禁止の憂き目に遭った。元代に、呪術的な信仰と共に、弥勒信仰が混入して変質し、革命思想が強くなり、何度も禁教令を受けた。

元末、政治混乱が大きくなると白蓮教の勢力は拡大し、遂に韓山童を首領とした元に対する大規模な反乱を起こした。これは目印として紅い布を付けた事から紅巾の乱とも呼ばれる。

白蓮社(びゃくれんしゃ)402年(元興元年)、廬山・般若台の阿弥陀像前で、慧遠が123名の念仏実践を望む同志たちと誓願を立てたことに始まる。白蓮社の構成メンバーの中には、仏陀跋陀羅・仏陀耶舎・慧永・慧持・道生らの僧と、劉程之・宗炳・雷次宗・周続之らの居士が含まれていた。

■仏教版「ダ.ビンチ.コード」ではないのか?、、、、googlの旅で謎は解けるのでしょうか。

※その方の名は鳩摩羅什(くまらじゅう、くもらじゅう、サンスクリット:Kumārajīva, कुमारजीव、クマーラジーヴァ)、350年 – 409年、一説に344年 – 413年とも)

————–つづく———————————

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