曽谷教信は、松戸の本土寺の創建にもかかわっています。
拙者Blog
身池討論(1630)国家権力との迎合
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1カ月まえになるが、、、 紅葉真っ盛りな、、松戸市平賀の本土寺に行ってきた。 本土寺の紅葉観賞は2回目であるが、前回は門前の漬物屋と白いお洒落なcafeでお茶をしたことしか記憶に無かったので、、今回は深入りする、、、。 平賀の本土寺は、千葉...
じーさん徘徊 そうだ!鎌倉に行こう-⑦千葉介頼胤(ChibanosukeYoritane)と家臣
文永八年9月12日深夜、、「あの方」は、江の島に近い刑場「瀧の口」で首を刎ねられようとしたが、、その時、、不思議な光る物体が辰巳の方向から戌亥の方向に飛んだと言われ、処刑は延期されたのです、、、。 ※このエピソードは後世の付会とする懐疑的な...
寺を訪れたのは、、本日11時50分頃でした、、2度目の訪問(勝手に歩き回る輩ですけど)ですが、確りとした建て住まいは好感が持てます。
丁度、、一件、、法要があったらしく喪服の家族が駐車場に出てきました、、。
その時です、、グオーン、、傍で大きな鐘の音が響き渡ります、、
「うお!!驚いたわ―」、、またもや、、グオーン、、、、!!
最近の鐘楼は自動で鐘を鳴らすのですね、、、
正午の時を鳴らすのだそうです、、、。
「いやーびっくりしたー」と言いながら家族に近づきながら「とても、、古いお寺のようですが、何か由緒を御存知ですか?」と尋ねてみた。
、、「古いお寺ですよ、、たしか平安時代からの寺とか聴いてます、、市川市の図書館に由来があります、、あ、、住職が居ますので聴いて下さい、、」
「、、平安?・」となると、、曽谷教信が創建する以前にも、、寺があったのか?、、ありがとうございます」
※ただ、、寺内に古さを思わせるものは、ほぼ見当たらない、、、。
住職にお会いして、なにか文献がございますでしょうかと、、尋ねた、、、。
一枚の簡単な案内文と線香を1箱頂戴した。
鎌倉時代より730年間、、、この寺に何があったのだろうか、、
曽谷教信に関する資料を探してみたい、、、。
※この案内文ある曽谷教信が「日蓮の従兄弟」の記事、、また大野の地名と、、
父は、、日蓮の母方の伯父ともされる大野政清(異説では曽谷道頂とも)といわれている。、、、について別途調査する。
※「あの方」の母が、、ここ八幡郷(市川市、松戸市、鎌ヶ谷市)の出身ということか、、、、。
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さて、、、「あの方」が、曽谷教信に与えた手紙が多く残されているが、、文永12年3月の、、「心の師とはなるとも心を師とせざれとは、、、」という有名な手紙の一節は、、奥が深い、、、。
「心の師とはなるとも、、、」は1カ月後の文永十二年四月にも「池上兄弟」にも書き記している(兄弟抄)、、池上兄弟は法華経を信仰することを父親から反対され勘当されようとしていた、、このことに対する激励の文である、、。
■[心の師とはなるとも心を師とせざれとは六波羅蜜経の文ぞかし、、、]
曽谷入道殿御返事 文永十二年三月
文永12年は「あの方」は身延に在り54歳、、前年の10月、、壱岐対馬に元国が攻めよせて(文永の役)日本国は元寇に備え騒然となる、、11月には台風に寄り元兵は撤退する、、翌年4月に元国の使者が長門に来る、、9月に北条時宗は元の使者朴世忠等の頸を刎ねる、、
まず、六波羅蜜とは、、、
「シャット・パーラミター」(六波羅蜜)、、、。
これは、、、
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「波羅密多(はらみった)」
これは大乗経の修業の基本項目を指す、、、「六波羅密」は次のとおり
①布施(ふせ) 檀那(だんな、Dāna ダーナ)は、分け与えること。
②持戒(じかい)尸羅(しら、Śīla シーラ)は、戒律を守ること。
③忍辱(にんにく)Kṣānti’ クシャーンティ)は、耐え忍ぶこと。[
④精進(しょうじん)Vīrya ヴィーリヤ)は、努力すること。
⑤禅定(ぜんじょう)Dhyāna ディヤーナ)は、心を安定させること。
⑥般若(はんにゃ)prajñā プラジュニャー)は、諸法に通達する智と断惑証理する慧
では、、、、、「波羅密多」という漢字から、その用語の意味を理解できるだろうか、、
また、「般若」という漢字から、、、、その意味を解釈できるだろうか、、、
漢字の知識だけでは、仏法を理解できない、、、
「波羅密多」は梵語の「パーラミター」を音写したものであり、、、
「般若」は、パーリ語の「パンニャー」である、、、、
※拙者関連Blog「空と海と」
空と海と その1(三教指帰)
<遣唐船の復元模型> 仏教経典の中に、度々出てくる用語がある、、、、、、 「波羅密多(はらみった)」 これは修業の基本項目を指す、、、六波羅密は次のとおり ①布施(ふせ) ②持戒(じかい) ③忍辱(にんにく) ④精進(しょうじん) ⑤禅定(...
簡単に解釈すれば、、六つの最高の教え、、と言うことでしょう、、、。
般若波羅密多「パンニャーーパーラミッタ」なら、、最高の智慧、、でしょう。
そのうえで、「心の師、、、」を読むと、、、
自分の心の赴くまま、、成すがまま、、の心に随うことと、、理性の心に随うこととへの、の迷いを、、最高の智慧(仏法)によって断じて乗り越えることだ、、
と解釈するのか、、、、、。
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曾谷入道殿御返事
本文
方便品の長行書進(かきまいら)せ候先に進せ候し自我偈に相副(そえ)て読みたまうべし、此の経の文字は皆悉く生身(しょうじん)妙覚の御仏なり然れども我等は肉眼(にくげん)なれば文字と見るなり、例せば餓鬼は恒河(ごうが)を火と見る人は水と見る天人は甘露と見る水は一なれども果報に随つて別別なり、此の経の文字は盲眼(もうげん)の者は之を見ず、肉眼の者は文字と見る二乗は虚空と見る菩薩は無量の法門と見る、仏は一一の文字を金色の釈尊と御覧あるべきなり即持仏身とは是なり、されども僻見(びゃっけん)の行者は加様(かよう)に目出度く渡らせ給うを破し奉るなり、唯相構(かま)えて相構えて異念無く一心に霊山浄土を期せらるべし、心の師とはなるとも心を師とせざれとは六波羅蜜経の文ぞかし、委細は見参の時を期し候、恐恐謹言。
文永十二年三月 日 日 蓮 花 押
曾谷入道殿
通解
方便品の長行を書写して差し上げた。先に差し上げた自我偈に添えて読まれるように。この経の文字は一字一字、ことごとく生身の妙覚の仏である。しかしながら、我等凡夫は肉眼なので、ただ、文字と見るのである。例えば餓鬼道のものは恒河を火と見、人間は水と見、天人は甘露と見る。水は同じでも(見る者の)果報によって別々なのである。それと同じように、この経の文字は盲目の者はこれを見ることができず、肉眼の者は文字と見、二乗は虚空と見、菩薩は無量の法門と見、仏は一々の文字を金色の釈尊と御覧になるはずなのである。即持仏身とあるのはこのことである。けれども、僻見の行者はこのように尊い御経を破っているのである。ただ、用心に用心をして異念なく、一心に霊山浄土に参れるよう期せられるべきである。
心の師とはなるとも心を師とせざれとは六波羅蜜経の文である。
委細はお会いした時に申し上げる。恐恐謹言。
文永十二年三月 日 日 蓮 花 押
曾谷入道殿
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※かって田中智学の日蓮宗、法華経にのめり込んだ宮澤賢治の詩に、こんな詩がある、、
< 心相 >
こころの師とはならんとも、
こころを師とはなさざれと、
いましめ古りしさながらに、
たよりなきこそこゝろなれ。
はじめは潜む蒼穹に、
あはれ鵞王の影共ぞと、
面さへ映えて仰ぎしを、
いまは酸えしておぞましき、
澱粉堆とあざわらひ、
いただきすべる雪雲を、
腐(くだ)せし馬鈴薯とさげすみぬ。
<宗教風の恋>
、、、、、、もうそんな宗教風の恋をしてはいけない
そこはちやうど両方の空間が二重になつてゐるとこで
おれたちのやうな初心のものに居られる場処では決してない
、、、、かって師と仰いだ、、田中智学との、、、決別の歌である、、、
参考拙者Blog
野原ノ松ノ林ノ陰ノ小サナ茅葺小屋ニイテ
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翌日21日11時半、賢治は「南無妙法蓮華経」と叫び続けながら、血を吐いた。 そして、その血をあえぎながら一人で始末した。 父の政次郎は「何か言っておくことはないか」と賢治に尋ねた。 「お願いがあります。国訳妙法蓮華経を千部作ってください。 ...
———-つづく———-
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