日蓮 じーさん徘徊 正月の富士山周遊 その1 (loop around the Mt Fuji) 女房と2人だけの正月は、、どうも、話題がうじうじと消極的になって面白くない、、。 急に富士山が見たくなった、、。 暮れからの腰痛も回復してきたし、、急きょホテルとレンタカーの予約をして、、家出する。 新幹線こだまで「新富士」着、、まずは、や... 2018.01.06 日蓮
日蓮 六老僧 日頂は 弘法寺(葛飾真間)から母と正林寺(重須)へーー⑤ ■日頂の泣き公孫樹(いちょう)伝説 「あの方」の三回忌(1284)に日頂が遅参したとされる(中山法華経寺)ことで、義父の冨木常忍のもとに釈明に向かった日頂であったが、冨木常忍は許すことはなかった、、、。その後、、、 ------------... 2017.11.19 日蓮
株 経済 IHIの株を買った….潮流発電を応援 日本株が22000-を回復して、、、アナリストには25000-は年内にもある、、という声も聞こえる。 個人的には、、アベノミクス相場のお陰で過去の損失は無くなり、、2/3は売り切った、、その後、、押し目買いと早めの売りの繰り返しで、、そこそ... 2017.10.29 株 経済
日蓮 六老僧 日頂は 弘法寺(葛飾真間)から母と正林寺(重須)へーー④ ■日頂と日向は、、師の葬列に参加していない? あの方は、、 弘安5年(1282年)10月13日、辰の刻(午前8時頃)、すべての化導と相承を終、弟子・檀越が唱題するなか、御歳61歳をもって入滅された。 この時、地震が起こり、10月に桜が咲いた... 2017.10.14 日蓮
シルバー生活 それぞれの夕焼け 女房の同窓会に出席された、もと美術担当の先生、、。 先生は定年後に日本語学校講師を中国で1年間経験し、現在は日本に帰り中国語の教室を週一日開いているという、、。その先生が皆にくれたのが、、この書だという。 意味が裏に記してあった。 桑楡晩し... 2017.10.02 シルバー生活
日蓮 六老僧 日頂は 弘法寺(葛飾真間)から母と正林寺(重須)へーー③ ■伊与房(日頂)は、文永10年4月に佐渡に到着した、、。 文永8年(1271)11月(新暦1272.1)に、、あの方が極寒の佐渡の塚原に流配されてから半年が過ぎ、、翌年春、、4月に配所は塚原から一の谷に移ります、、。 富木殿の養子となってい... 2017.09.05 日蓮
日蓮 六老僧 日頂は 弘法寺(葛飾真間)から母と正林寺(重須)へーー② ■真間釈迦仏供養逐状(真間仏供養抄) 冨木殿(1215-1299:富木五郎左衛門尉胤継:千葉氏被官:出家して常忍) は、真間の「御所領堂」に釈迦仏を建立したことを「あの方」に報告した、、。 それに対する返事が「真間釈迦仏供養逐状」健治3年(... 2017.08.20 日蓮
日蓮 六老僧 日頂は 弘法寺(葛飾真間)から母と正林寺(重須)へーー① 弘安5年(1282)9月、、、あの方は、9カ年を過ごした甲斐の国の身延を離れ、、故郷安房の国を目指していた。 体調はおもわしくない、、冬を前に地頭の波木井実長からの勧めで茨城常陸の湯に養生するための旅であった。 あの方を馬上に、一行は鎌倉街... 2017.08.06 日蓮
シルバー生活 時間の流れに ② 水道橋駅を降りて、、地下鉄後楽園駅まで4年間、、50年も前に、、通った道だ、、。 駅周辺は昔の面影を残すが、、スタジアム周辺はさすがに景色はかわっていた。 当時はこんな光景は見たことが無い、、。 あのー、、スイません、、今日はどんなイベント... 2017.06.25 シルバー生活