明治維新

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『青天を衝け』–その6 パリ万博

1864(文久4年) 7月18日 禁門の変(蛤御門の変)にて長州藩の敗退 8月2日 第一次長州征討令 11月 長州藩謝罪 俗論党 1865年(元治2年) 1月2日 長州藩 高杉晋作が馬関で挙兵 5月11日 土佐 武市半平太 切腹 5月6日 ...
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『青天を衝け』–その5 平岡円四郎 暗殺

■池田屋騒動 1864年(文久4年) 6月5日 京都の具足商の枡屋には、長州藩士や、浪士が頻繁にでいりしておる、、町奉行と新選組はかねてから探索しており、枡屋の古高俊太郎を新選組屯所に連れ去った、、これを奪還するべく、浪士と長州藩の桂小五郎...
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『青天を衝け』–その4 一橋慶喜が将軍後見職となる

1860(安政7年)3月3日午前9時頃、、登城のため江戸彦根判定を籠で出た老中井伊直彦、、藩士26名、、総勢64名を従えて桜田堀から、、桜田門に差し掛かった、、冬の名残の雪は吹雪交じりの大雪になってきた、、彦根藩士は雨合羽、、刀は柄袋を付け...
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『青天を衝け』–その3 安政の大獄と桜田門外の変

時代の流れは速まっている、、、 しかし、その前に尊王攘夷運動の切っ掛けとなった、、日米和親条約、通商条約を見ておこう、、、 ■ペリー来航1853(嘉永6年6月3日) 「泰平の眠りをさます上喜撰たった四盃で夜も寝られず」という有名な狂歌があり...
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『青天を衝け』–その2 武州高崎城の乗っ取り作戦

■武州高崎城の乗っ取り作戦 青年の熱と妄想は留まらない、、武器を調達し高崎城を奪い、、幕府を震撼させる、、同志を募り、、天下の諸大名に、尊王攘夷の挙兵を知らしめて、呼応して立ち上がるよう呼び掛ける、、 吉井、飯能、八王子を急進して、、一挙に...
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『青天を衝け』–その1  深谷ネギ

熊谷→道の駅→寄居→児玉党→玉連寺→渋沢栄一記念館→深谷ネギ→深谷駅→磯部温泉→富岡製糸工場 1月末頃、近所の方から深谷ネギを頂戴した。 えっ!ネギってこんなに甘いの?? 、、、と改めて深谷ネギをリスペクして知りたくなった、、。 そうだ、、...
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中岡慎太郎 その8 29歳  薩長同盟

■薩長連合は中岡が画策したが、、 高杉晋作らのクーデターにより、長州藩は再び尊王攘夷派が藩を掌握することになった。 幕府は再び長州征討を決定する。 慶応元年(1865)5月13日 幕府の長征軍進発の情報が薩摩藩に入る、 そのころ、石川清之助...
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中岡慎太郎 その7 28歳  時勢論 高杉晋作

現場主義というか、、かって、、庄屋になった慎太郎は農民のために最善を尽くした、、 現状を打破するために、、尊攘派として行動を起こした、、そして、、今は、、五卿と共に三田尻にいる、、必死に時勢を見ている。 「禁門の戦い」に長州が敗退し、しかも...
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中岡慎太郎 その6  27歳  西郷との出会い

■池田屋事件と禁門の変(長州の御所襲撃) 長州藩では、三条実美や尊王攘夷派公家の赦免を求め、藩主の冤罪を雪ぐ「新発論」を木島又兵衛が進めていたが、、池田屋事件(※幕末の1864年7月8日(元治元年6月5日)に、京都三条木屋町(三条小橋)の旅...
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中岡慎太郎 その5  26歳-2  脱藩

混乱は続く、、、 ■寺田屋騒動 寺田屋は薩摩藩の常宿である。 後に、坂本龍馬が襲撃されたのも、、この寺田屋だ、、、 ----------- 文久2年、、藩兵千名を率い上洛した島津久光は、、尊王派におおきな期待を持たせた、、ところが、それは誤...