日蓮

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児玉町 玉連寺

今回の予定は、、渋沢栄一記念館-深谷のネギ‐安中温泉(泊)-富岡製糸工場-ですが、、立ち寄っておきたい場所が、、ここ玉連寺でもある。 流人日蓮を護送していく一行は、、井出沢か小野路、関戸、多摩川を渡り、、国府(府中)を過ぎ、久米川の宿に泊ま...
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鎌倉殿の13人 連想——-その1 比企の乱

鬼の来ぬ間に、、温泉に行ったろか、、と思い、、コロナがピークになる前に、、1月3日、4日と湯河原と周辺をドライブすることにした。 年末ではあったが、、露天風呂が素晴らしいという、、奥湯河原温泉の温泉旅館の予約が、ネットの”じゃらん”からとれ...
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「日持上人大陸踏破事跡」中里右吉郎 謎の調査書

「あの方」が弘安5年(1282年)10月13日、辰の刻(午前8時頃)、すべての化導と相承を終、弟子・檀越が唱題するなか、御歳61歳をもって入滅された。後継者としては六人の本弟子(※1)とされる老僧(※2)日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持が...
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柴又帝釈天の板曼荼羅が真跡なら、、

映画の寅さんで有名な柴又ですが、、参道の団子以外にもウナギ、川魚料理などを目的に出かける人も多い、、。 もちろん、、ここは帝釈天を本尊としたれっきとした日蓮宗のお寺です、、。 ----------題経寺サイトより-------- 経栄山題経...
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じーさん徘徊 正月の富士山周遊 その2  法連寺(松野)

<法連寺から富士を見る> 富士川に沿った山間の集落であるが、現在は住居が景観を阻んでいる。 法連寺は、「あの方」の後継、、六老僧の一人、、日持上人誕生の地と言われるが定かではない、、、。 Googlで空から見れば、、駿河湾、富士山、富士川の...
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じーさん徘徊 正月の富士山周遊 その1 (loop around the Mt Fuji)

女房と2人だけの正月は、、どうも、話題がうじうじと消極的になって面白くない、、。 急に富士山が見たくなった、、。 暮れからの腰痛も回復してきたし、、急きょホテルとレンタカーの予約をして、、家出する。 新幹線こだまで「新富士」着、、まずは、や...
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六老僧 日頂は 弘法寺(葛飾真間)から母と正林寺(重須)へーー⑤

■日頂の泣き公孫樹(いちょう)伝説 「あの方」の三回忌(1284)に日頂が遅参したとされる(中山法華経寺)ことで、義父の冨木常忍のもとに釈明に向かった日頂であったが、冨木常忍は許すことはなかった、、、。その後、、、 ------------...
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六老僧 日頂は 弘法寺(葛飾真間)から母と正林寺(重須)へーー④

■日頂と日向は、、師の葬列に参加していない? あの方は、、 弘安5年(1282年)10月13日、辰の刻(午前8時頃)、すべての化導と相承を終、弟子・檀越が唱題するなか、御歳61歳をもって入滅された。 この時、地震が起こり、10月に桜が咲いた...
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六老僧 日頂は 弘法寺(葛飾真間)から母と正林寺(重須)へーー③

■伊与房(日頂)は、文永10年4月に佐渡に到着した、、。 文永8年(1271)11月(新暦1272.1)に、、あの方が極寒の佐渡の塚原に流配されてから半年が過ぎ、、翌年春、、4月に配所は塚原から一の谷に移ります、、。 富木殿の養子となってい...
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六老僧 日頂は 弘法寺(葛飾真間)から母と正林寺(重須)へーー②

■真間釈迦仏供養逐状(真間仏供養抄) 冨木殿(1215-1299:富木五郎左衛門尉胤継:千葉氏被官:出家して常忍) は、真間の「御所領堂」に釈迦仏を建立したことを「あの方」に報告した、、。 それに対する返事が「真間釈迦仏供養逐状」健治3年(...