『青天を衝け』–その5 平岡円四郎 暗殺

■池田屋騒動
1864年(文久4年)
6月5日 京都の具足商の枡屋には、長州藩士や、浪士が頻繁にでいりしておる、、町奉行と新選組はかねてから探索しており、枡屋の古高俊太郎を新選組屯所に連れ去った、、これを奪還するべく、浪士と長州藩の桂小五郎らが旅館池田屋に密議する、、これを知った近藤勇率いる新選組、遅れて土方歳三の一隊が池田屋を襲撃する。桂小五郎はかろうじて難を逃れた。
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■平岡円四郎 暗殺
この時、、渋沢栄一は、、喜作とともに、、「人選御用役」として、緊急に歩兵を集めるため、、京から江戸に向かっていた。
30~40人程度を集める予定であった、、中山道に帰路として故郷にも寄ることにしている、、できれば牢獄中の長七郎の釈放を試みるつもりであった。
なにしろ、今や、将軍後見職の一橋慶喜の家老職で政局の中心人物となった、平岡円四郎の家来である、、明るい旅である。

6月14日 しかし京都は騒然としている、、夕刻であった、、平岡は慶喜が宿営する若州屋敷を出る、従者2人と剣術に長じた川村恵十郎(ボデイガード役)が姉小路を東にむかい、、堀川の橋付近に来た時、、「平岡」、、と左の図子から声をかけたものがある、、、
平岡は声の方に顔を向けた、、、おそらく確認のために声をかけたのであろう、、、これが平岡にとって不覚となった、、、
暴漢は右手の図子から飛び出し、、いきなり右肩から左肋骨にかけて袈裟懸けに切り下げた、、、平岡はこの一刀で絶命した、、。
川村はとっさに、暴漢の胴を払い、、逃げた一味を追った、、暴漢の2人は一人は力尽きて切腹、一人は喉を突いて絶命した、、
刺客としては、見事な最期で、町の噂となった。

「平岡は、わしの身代わりになった」、、、慶喜は泣いた、、、。
慶喜を憎むものは多い、、長州か、、薩摩か、、旗本か、、

夜が明け、、所司代から役人から下手人の籍の通知があった、、。なんと、、、水戸藩であった。
林忠五郎、江端貞七郎といい、急進攘夷派で聞こえた人物であるという、、、。

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