天台宗比叡山の山門には源信の恵心流と覚運の檀那流があり、恵心流は椙生流と宝地房流、檀那流は慧光房流と竹林房流と毘沙門堂流に分かれていました。
慧心流は本覚法門といって、仏の境地から一切衆生はそのまま仏であるという教えを説き、
これにたいし、檀那流は始覚法門といって、凡夫より次第に修行して仏になるという法論的な教えを説いています。「あの方」が20代に師事した「俊範」ですが、、その父は大納言法印「範源」で、、、範源から慧心流椙生の附法を受けています。
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「天台宗の清澄寺」の秀才であった「あの方」は、、比叡山での12年間の修業を終えて天台沙門として、、独立するに当たり、、当時の関東天台宗開祖である尊海僧正から、、僧侶の資格を受ける、、のは自然であったでしょう、、、。尊海は、当時の天台宗が密教に偏り過ぎることを懸念して、、法華経への回帰運動をしていたとも言われています。「あの方」が、、若き頃に師事した「俊範」、、そして伝法灌頂を受けた「尊海」の影響が無いとは言えない。———–
また、このころ川越には貫名類(あの方の父「貫名次郎重忠」の縁者、、遠州袋井市)がおり、あの方は数カ月に渡る伝法灌頂(でんぼうかんじょう)の修業の中で、、縁者と会い自身の出自などを訪ねたと言われる、、、。

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さて、、、ここからが難解だ、、、

あの方が清澄に登ったのは、、12歳、、鎌倉での修業を終えて、、19歳には比叡山に12年間の修業に出る、、そして32歳、、法華宗の棟梁となり、、長い法戦が続く、、、。

「あの方」が、、立宗宣言から二十七年、、、虚空会の儀式を文字で描いた文字曼荼羅を出世の本懐とする、、

あの方は
、、この御本尊は世尊説きおかせ給いて二千二百三十余年が間一閻浮提のうちにいまだひろめたる人候わず、漢土の天台日本の伝教ほぼしろめしていささかひろめさせ給わず当時こそひろまらせ給うべき時にあたりて候へ、、

あの方は
妙法蓮華経と甲すは漢語なり、月支には「薩達磨分陀利伽蘇多攬」と甲す、、、、

※サッダルマブンダリーカスートラ
サンスクリット語の原典「サッダルマ・ブンダリ-カ.スートラ」邦訳(正しい教えの白蓮)妙法白蓮華経のこと、、、

さて、、あの方の曼荼羅の両脇氏に、、梵語が書かれている、、
それは、、密教の仏である両部(「胎蔵曼荼羅」(胎蔵界曼荼羅とも)、「金剛界曼荼羅」の2つの曼荼羅を合わせて「両界曼荼羅」または「両部曼荼羅」と称する。)の神が、、左に愛染明王(マハーラーガ(mahārāga)、、右に不動明王(アチャラ・ナータ [2](अचलनाथ)が梵字で記される、、、大日如来の化身だと言います。

※ちょっと待って下さい―――!!
つーことは、文字で書かれているが、、、愛染明王とか不動明王は
こんなお方が、、、両脇に立ってる図、、、ってことだね、、。
画像
愛染明王
画像
不動明王

まあ、、フギアとしては可愛いけど、、、
よく、、、お寺の山門の両脇に立ってる、、、お方ですかね、、、、。
不動明王は炎があるから、、拝火経の出身ですか、、、
文字だから、、あまり意識しないけど、、、絵像にすると、、、
このお二人(神)が仏壇に立っていられると、、、ケッコー抵抗感あるかも、、、、、

実は、、、「あの方」は絵像は苦手のような、、話も聞かないでもない、、、
柴又の帝釈天に、、、日蓮作の板帝釈天と言うのがあるらしい、、、が、、、
その絵の出来栄えといえば、、ちょっと、、私には言えません、、、。

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平安からの当時、、「理同事勝」と言われた日本仏教界の常識を、、大きく転換したのです。

主体は「法華経」「サッダルマ・ブンダリ-カ.スートラ」で、、釈尊も、その他の神々も脇氏である構図となるのです、、

理同事勝
理同とは法華経と真言宗ともに一念三千の理論は同じことをいい、事勝とは(実践の方法で)真言宗には印と真言の秘法があり、これにより、即身成仏に違いがあるとして、『法華経』よりも真言宗が勝れているとした真言偏重の教学です。

あの方は当初は
清澄寺に帰り、『戒体即身成仏義』を書き上げたときは、真言宗の方が修法の面において、やや勝れていると考えていたことがうかがえます。

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※釈迦滅後八百年ごろ、、、大乗派により創作された「法華経」、、その経典は、、そのドラマチックなスペクタクル物語で、、二千年余もの間、、そして、、今も、、求道者達を幻想の世界にいざない、、無明に苦しむ多くの人々に明かりを灯しているのです、、、。

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つづく、、、、、。