古代アーリア人の宗教 インドラ神のお気に入り「ブアジュラ」

この写真の軍神「インドラ神」が左手に翳しているのは、「ブアジュラ(サンダーボルト)」という武器です、、、。
インドラ神は無敵の戦士と言われ、、、アーリア人は出陣するときは、インドラ神の加護を祈ったのです。
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<インドラ神は、、漢訳されて、、帝釈天となる>


紀元前1750年頃、、中央アジアを拠点としていたアーリア人の部族が移動します。、、、一方はインドへ、、そして一方はイランへ移動していきます、、、。

そして、、それまで、、紀元前2500年頃からインダス河流域で高度に栄えた「インダス文明」は、BC1750年ころに衰退していきます、、、これとアーリア人の移動との時期が一致します、、、。

紀元前1000年頃には、、アーリア人はガンジス河流域まで進出して、、インドを支配し、、インドの文明の中核となるのです・

彼らの宗教には、犠牲(いけにえ)の儀式がありました。犠牲(いけにえ)を燃やす火は、火をつかさどるアグニ神でした、、。そして儀式を司る司祭(バラモン)は高い位置にありました。
重要な神は2神で「ブアルナ」と「インドラ」です。
ブアルナ神は、、自然界の秩序を守り、正義を体現する律法神で、、、
インドラ神は、戦いの神であり、水をせき止める竜を殺して、モンスーンとともに天空の水を人間界に放出するという役割でした、、、。

※どうやら、、アーリア人の神は、、文系と体育系に役割分担していたらしい、、。

インドに進出したアーリア人と肌の黒い土着の人との間に、、、やがて「カースト」という身分制度ができるのですが、、、これが現代インド社会でも、、引き継がれるという社会構造があります、、が、、ここでは、、、そのことより、、写真のインドラ神が持つ「ブアジュラ」について関心があります。

実は、、、遣唐使として中国から「密教」を相伝した空海が持ち帰った重要な「法具」に、この「ブアジュラ」が、、、あるのです。
漢字に訳されて「金剛杵(こんごうしょ)」と呼ばれています、、、。
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金剛杵(こんごうしょ)、梵名:ヴァジュラ、ヴァジラ(वज्र vajra)は、密教やチベット仏教における法具である。

仏の教えが煩悩を滅ぼして菩提心(悟りを求める心)を表す様を、インド神話上の武器に譬えて法具としたものである
インド神話では、ヴァジュラはインドラ(帝釈天)の武器である。「金剛杵」の漢名どおり、金剛(非常に硬い金属、もしくはダイヤモンド)でできており、雷を操る。

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インド神話は金剛杵(ヴァジュラ)の由来を次のように説く:

インドラ(帝釈天)は、ヴリトラ(蛇の形をした悪魔の首領)を倒すため、ブラフマー(梵天)に相談した。ブラフマー(梵天)は、「ダディーチャという偉大な聖仙に骨を下さいと頼めば、彼(ダディーチャ)は身を捨てて、自分の骨をくれるから、その骨でヴァジュラ(金剛杵)を造れ。速やかに実行せよ。」と述べた。インドラは、ダディーチャの隠棲処でそのように頼んだところ、太陽のごとく輝くダディーチャは、「お役に立ちましょう。身を捨てます。」と述べて息をひきとった。インドラたち神々はダディーチャの骨を取り出し、トゥヴァシュトリ(工巧神)を呼んで目的を告げた。トゥヴァシュトリ(工巧神)は一心不乱に仕事に励みヴァジュラ(金剛杵)を造り上げた。インドラはそのヴァジュラ(金剛杵)をつかんでヴリトラ(蛇の形をした悪魔の首領)を粉砕した。

— 『マハーバーラタ』[1]
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<先祖に近い、、帝釈天>

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帝釈天の名はインドラの名前の梵: इंद्र、इन्द्र śakro devānām indraḥのうち、śakraを釈と音訳したものに、devaを天と意訳して後部に付け足し、indraを帝と意訳して冠したもの。

本来のインドラ神は、阿修羅とも戦闘したという武勇の神であったが、仏教に取り入れられ、成道前から釈迦を助け、またその説法を聴聞したことで、梵天と並んで仏教の二大護法善神となった(インドラの項を参照)。

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言わせてもらおう、、、このように全ては歴史の産物だと、、、、そして全ては遠い昔の遺伝子を引き継いでいるのだ、、、それは五百億塵点劫より、、更に昔からだ、、、。

やがて、、、征服者であったアーリア人のバラモン教は、、征服された筈のインダス文明の神々と習合して、、、紀元前1000年ごろにはヒンズー教に進化し、、、紀元前650年頃には、、、仏教に進化するのだ、、、、釈迦は、、被征服者の部族として、、カーストから成りあがった王の王子として生まれた、、、その悩みは大きかったと、、という話を聞いたような、、
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<雷神、風神の先祖は、、インドラ神に違いないと思う>

※ちなみに、、、近くには、、映画柴又の寅さんで有名な、、柴又の帝釈天があります、、。
本尊は、、日蓮聖人が彫ったという、、板題目の裏に帝釈天の像が彫られているらしい、、これは、江戸時代に発見されており、、神社仏閣巡りがブームになった頃??とすれば、、??だ、、、ただ、、江戸庶民や、現代人でさえ、、知らぬ間に、、古代アーリア人のインドラ神と繋がった、、、。

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