「さいたま」に渡来した玄奘三蔵法師 その⑤ ガンダーラの仏典

※、、、玄奘三蔵法師一行は、、東南に山道を進むこと五百里あまり、、健陀羅国(ガンダーラ国)に至った、、。
この国の東は信度河(インダス河)にのぞみ、、都城は布路沙布羅(ペシャワール)という。

※ガンダーラはギリシャ史料に、、Gandarae、、ダリウス碑文にGandaraとある、、。
「アレキサンダー大王」の東征以来、、多数のギリシャ人、ペルシャ人が往来した。クシャン朝時代には中心地であった。
玄奘三蔵法師一行は、ジャララバードから、カイバル峠を越えてガンダーラに入った、、。
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東西融合の地、、ガンダーラから仏像は生まれた、、、。
仏陀滅後、、肖像を拝することを禁じて来た初期仏教が、、、ギリシャ支配の地、、ガンダーラで異国の文化と習合する、、、、。
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弥勒の先祖はmitora?

まさに、、、仏陀はギリシャ彫刻のような風貌になるのだ、、、。
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<そして、仏陀像の両脇には、ギリシャコインに見るライオンが、、>

そのガンダーラでは、今までに多くの仏像が残され、、また、、タリバンによって破壊もされるという残念なニュースが多かった中で、、2001年にアフガニスタンのバーミヤンで、タリバンから洞窟に逃れた住民が偶然に、、一万点にもなる仏教の古文書を発見した、、、。
ガンダーラでこれ程の文字による経典が発見されたのは初めてだといわれる。

現在は、ノルウエーの実業家が膨大な金額で購入保管しているという、、、。

世界から研究者が集まって、、解読をしているが、、
その中で、、ワシントン大学のリチャード。ソロモン教授はガンダーラ文字の解読で、、
2世紀頃の経典に、、、
「シャット・パーラミター」(六波羅蜜)の言葉を発見した、、、。
これは、、、
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「波羅密多(はらみった)」
これは修業の基本項目を指す、、、「六波羅密」は次のとおり

①布施(ふせ) 檀那(だんな、Dāna ダーナ)は、分け与えること。
②持戒(じかい)尸羅(しら、Śīla シーラ)は、戒律を守ること。
③忍辱(にんにく)Kṣānti’ クシャーンティ)は、耐え忍ぶこと。[
④精進(しょうじん)Vīrya ヴィーリヤ)は、努力すること。
⑤禅定(ぜんじょう)Dhyāna ディヤーナ)は、心を安定させること。
⑥般若(はんにゃ)prajñā プラジュニャー)は、諸法に通達する智と断惑証理する慧
では、、、、、「波羅密多」という漢字から、その用語の意味を理解できるだろうか、、
また、「般若」という漢字から、、、、その意味を解釈できるだろうか、、、

、漢字の知識だけでは、仏法を理解できない、、、
「波羅密多」は梵語の「パーラミター」を音写したものであり、、、
「般若」は、パーリ語の「パンニャー」である、、、、

※拙者関連Blog「空と海と」
空と海と  その1(三教指帰)
<遣唐船の復元模型> 仏教経典の中に、度々出てくる用語があ…

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、、、大乗の修行です。

、、この時代に、、大乗の経典がガンダーラにあった、、、
紀元2世紀に生まれたといわれる,,龍樹の時代に近い、、、。

、、つまり、、龍樹らの大乗の法典は、、覇者であるクシャン帝国の「カニシカ王」を仏教に帰依させ、、、、後継者の「フビシカ王」が大乗仏教に帰依する、、という記述がここで発見された、、。
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この地域から、、仏陀の初期仏教は、、龍樹らが推進する大乗派の論理に進化し、、世界に飛躍するのだ、、、、。

引用:NHKスペシャル 文明の道 ヘレニズムと仏教
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※、、、この国には多くの聖賢がおり、、古来論を創った諸師、ナーラヤナ(那羅延天)、アサンガ菩薩(無著)、ウ”アスバンドウ菩薩(世親)、ダルマトウラータ(法救)、マノーラタ(如意)、パールシュウ”ア(脇尊者)らは、みなこの国に生まれた人びとであった。

、、城外の東南ハ、九里に高さ百余尺の菩提樹がある。ここは過去の四仏がいずれも、その樹下に座ったという、、。

※そのそばに、、「カニュシカ王」の造ったストーパがある、、。高さ四百尺、基部の周囲一里半(約600m)、高さ百五十尺、その上に金銅の相輪二十五層が立っており、中に如来の舎利が一斛おさめられている。
カニュシカ伽藍から東北へ百余里ゆくと、大河を渡って布色嘉羯邏伐底城に至る。
城の東に「アショカ王」の造ったストーパがある、、、。

(大唐大慈恩寺三蔵法師伝≒西域・インド紀行)

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■アショーカ(サンスクリット:अशोकः、IAST:Aśokaḥ、訳:無憂=むう、在位:紀元前268年頃 – 紀元前232年頃)は、マウリヤ朝の第3代の王である。漢訳音写では阿育王と書かれる。インド亜大陸をほぼ統一した。釈尊滅後およそ100年(または200年)に現れたという伝説もあるアショーカ王は、古代インドにあって仏教を守護した大王として知られる。アショカとも表記される。

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■カニシカ王が仏教を保護したことは多くの仏典に記録されている。仏典の伝説によれば、カシミール地方の王にシンハと言う人物がおり、仏教に帰依して出家し、スダルシャナと称してカシミールで法を説いていた。カニシカは彼の噂を聞いてその説法を聞きに行き、仏教に帰依するようになったという。カニシカ王は各地に仏塔を建造したことが知られているほか、彼の治世に仏典の第四回結集(第三回とも)が行われたとも伝えられている。

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■アレクサンドロス3世(古希: Ἀλέξανδρος Γ’、紀元前356年7月? – 紀元前323年6月10日、在位紀元前336年 – 紀元前323年)、通称アレクサンドロス大王(古希: Ἀλέξανδρος ὁ Μέγας)は、アルゲアデス朝のマケドニア王、ヘラス同盟(英語版)(コリント同盟)の盟主、エジプトのファラオを兼ねた人物である。ギリシア語ではアレクサンドロス大王であるが、この場合は英語風に読んでアレクサンダー大王またはアレキサンダー大王とすることも多い。

ハンニバル[1]、カエサル[2]、ナポレオン[3]などの著名な歴史上の人物たちから大英雄とみなされていた。旧約聖書やコーラン、シャー・ナーメ、ゾロアスター教など多様な民族の教典にも登場する。現代でもアレクサンドロスの名に関する名をつける人は多い。1941年からギリシャで発行されていた旧1000ドラクマ紙幣や、1926年 からアルバニアで発行された旧1レク紙幣などの肖像に使用されていた。
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■初期仏教
原始仏教とも言うが、、釈迦滅後100年位から、、律の解釈を巡って教団の中で意見対立が起こる、、、大きくは、上座部(伝統的保守派)と大衆部(進歩的改革派)に分裂する。
更に二十ほどの部派に分裂する(部派仏教)、、、

■大乗(マハ・ヤーナ)
紀元1世紀には、、各地で宗教改革が起こり、、初期仏教の出家を中心とした伝統的な悟りへの道から、、
大乗(大きな乗り物、優れた乗り物)という「多くの人々に悟りをもたらす」教えを説く部派が出て大乗仏教運動が始ります。特に在家のまま悟りを求める、、ことは、、「一切衆生」が平等に救われる、、ことであり、、それこそ仏陀の本心である、、と説く、、。そして、、ここで「菩薩」という存在が誕生するのです。
龍樹菩薩は、、まさに、、この時代に誕生するのです。

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※妄想すれば、、、アレキサンダー大王が、、仏教と出会ったのは、、、紀元前4世紀である。
アショカ王は紀元前3世紀、、、、つまり、、、東西の文明は、、キリストが生まれる300年も前に化学変化を起こして、、新たな進化を始めた、、のである、、、。

どうやら、、仏教、、ユダヤ教、、キリスト教、、イスラム、、、の、、遺伝子は、、どこかで繋がっているように思える、、。

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