富士山は見えません、、。
腹が減ってきたが、適当なお店が見つからない、、50mばかり通り過ぎてから戻ったのがハンバーガーCaffe「Baba Looey]という、お店でした。
名前の意味が判らないけど、、店内へ、、
ロバの絵が掛っていいます、、
ハンバーガーの店と書いてあるから、、ハンバーガーランチセットを頼むことにした、、。
ボリウムがあるし、、サラダもおいしい、、マクドナルドのハンバーガーとは、えらく違うわな、、
まあ、、景色がいいので、、★★★☆☆、、かな、、。
お店の客は、、、、、ギャルママが赤ちゃんをあやしています、、お友達も、、ゆったりとお茶を楽しんでます、、。お客は14人位で満席でしょうか、、。窓の向こうは、、ずーと、、茶畑、、、
若者ばかりで、、ジーちゃんは私しか居ませんでした、、、。
Baba Looey - カフェ / 富士市 - 静岡ナビっち!
ハンバーガーは全てポテトとミニサラダ付のワンプレートです。又、ライスメニューもそろえております。 (カフェ/静岡県富士市岩本809)
よーし、、次にいくぞー
西山本門寺まで約1時間かな、、、、、
山間部に入って、、村を超えて、、
NAVが無いと、、行きすぎてしまうかも知れない、、林道を入る、、、、
着いた、、、
上条大石寺、重須本門寺、下条妙蓮寺、小泉久遠寺とともに同門流の「富士五山」を構成する。また、さらに 京都要法寺、伊豆実成寺、保田妙本寺とあわせて「興門八本山」のひとつにも数えられる。明治期には富士門流の統一教団日蓮宗興門派、、後の本門宗、、
大きな参道跡だが、、もはや、、人が踏んだ気配が無い、、
この参道から予測すれば、、、かっては周囲に、、、相当大き俄藍であったことが伺われる、、
京都や奈良の寺を見ていると、、ここは廃寺か、、と思われるほど、、、静かだ、、、。
日興の甥の日代は重須本門寺の2代管主であったが、、日仙との問答(論争)に勝つものの、地頭石川孫三郎や檀家らに追われ、、西山に移り法華堂を建立した。
かっては、、武田家、千葉原家、水戸家、、から管主が出ており、、武田信玄や水戸光圀から寄進を得て興隆した、、、
本堂は、かって、客殿であったという、、本殿が焼却したため、現在本堂となった。
裏手に、、小田信長の首塚がある、、これは、、平将門の首塚の類と思われても仕方ないか、、
外にある水洗トイレをお借りして用を足し、、360町歩あるという広大な寺を去ることに、、
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次は重須(北山)本門寺へ、、、ここから約5km程度移動する、、
<こちらは一転、町場のお寺風になります>、
—–wikipediq—
日興は1293年(永仁元年)に石川能忠の寄進をうけて北山に重須談所を設けると、同時に、本堂・御影堂・垂迹堂の建設にとりかかり、5年後の1298年(永仁6年)に落成した。大石寺は弟子の日目に譲ったが、日目が南条時光の血縁関係であったことも理由のひとつとされている。同様に石川一族は、日興の血縁関係者であった。日興は晩年の36年間を重須談所で過ごした。
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境内を散策して、、不思議に思ったことがある、、、
日興上人の墓だ、、、一般的には寺の創建をした方の場合は、、その墓も立派に建てられているのだが、、、
このように、、既に崩れかけたように立っている、、、周囲の墓は、かなり古いのだが、これ程ではない、、、西山との関係があるのか、、。
※あるいは、、、遺言により、、わが魂魄は師とともにあり、、墓は飾ることなく、、風雪の朽ちるにまかせよ、、、とか、あったのでしょうか、、。
※2015.04.12
最近知ったのですが、、、これは、「富士塚」という富士山信仰の墓ではないでしょうか、、
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造営方法は基本的には通常の人造の山(築山)と同様であるが、中にはすでに存在する丘や古墳を転用して富士に見立てたものや、富士山の溶岩を積み上げたものもある(全てではなくとも、目立つところに設置したりなど)。富士信仰では自然の地形の山を富士山に見立てることも多いが、、、、、
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きっと、、そうでしょう、、、。
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ここ重須に来る途中には、、「富士大石寺」の総房のビルの前の道路を通るのだが、、、
一瞬、、シャレたリゾートホテルかと思える眺めであった、、。
さて、、次は、、と思ったが、、どうやら明日も天気は良くないらしい、、富士山が見えないなら、、温泉でも、、と思って旅館を探すが、、さすがに3連休の初日、、、宿を見つけることができなかった、、、帰るか、、一気に静岡駅に向かい、、空いた新幹線で、、家路に着いた、、、。
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