一般的には、、「拂菻(ふろむ)」は東ローマ帝国を意味するらしい、、、
そして、、古代ローマ帝国は「大秦」とも訳される、、、。
中東地域が、、、一時ローマ帝国の配下にあったのは、、何時ごろか、、、
この時代に、、外交官や商人が、、遠いアジア諸国に売り込みに行く場合、「大秦(ローマ帝国)」を冠とした売り込み、交渉の方が、やり易い、、ということが容易に考えられる。
大雑把に言えば、、、歴史的に、、多くの国の支配下に、、あった中東諸国の民が、、自国のことを説明するより、、ローマ帝国のブランドで商い、交渉をした方が面倒では無い、、のだ。
それは、現在の商売でも、、、同じだことだ、、ブランド商品は信用される、、と、、考えてみたい。
つまり、、、
「シリア教会」の伝道師は、、、、拂菻王波多力(ふりんおうパトリアーク)のブランド名で、、
中国に伝道師として入唐してきたのだ、、、。
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『旧唐書』巻198によると、貞観17年(643)「拂菻王波多力」(波多力は「Papas Theodorus」の音写か。ただ、当時の皇帝はコンスタンス2世であり、該当する人物が定かではない。)の使者が来訪したのを皮切りに、開元七年(719)まで、しばしば拂菻王の使者が中国を訪れ朝貢した。
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シリア正教会はヤコブ派教会と呼ばれることがある。この名称は6世紀のシリア正教会の神学者ヤコボス・バラダイオスに由来し、第2ニカイア公会議以降、東方正教会を国教とする東ローマ帝国内で用いられるようになった。
しかしヤコブ派という呼称は、「シリア正教会の教説はヤコボス・バラダイオスがはじめた説であり、シリア正教会は正統教会からみた異端派」という意味合いをもつため、シリア正教会はヤコボス・バラダイオスの果たした役割を高く評価する一方、彼を創始者とする見方を拒否し初代教会からの連続性を主張するため、この名称を不当であるとしている。
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気がついたかどうか、、、東ローマ帝国を表す「大秦」は、、「太秦(うずまさ)」と同じ漢字と言っていい、、、。
■大胆に言ってしまおう、、、、秦氏は、、東ローマ帝国というブランド(あるいは、この国の国情に合わせて、秦の始皇帝の末裔というブランド)を使って、この国に、、
弓月王と共に、、数万人の規模で、、、移民してきた。しかも、、、当時のハイテクを手土産にだ、、、。、、応神天皇14年のことだ、、、、・
そして、、実際には、、蘇我氏より、物部氏よりも、、圧倒的な人口を有し、、、日本最大の豪族として、、、しかも、、政治の表舞台には、、ほとんど出ず、、裏方に徹して、、日本の産業、文化を支えて来たのだ、、、、、、。
——つづく—–
参考
へブル語と日本語の類似 秦氏
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