問題になっているようですね、、、
こんな見方もあります。
まず、、もともと数種の歌があるが、、
我君ハ 千世子やちよに さざれ石升 い尤保と成て 苔乃む寿まで
が、、、古歌と考えられる、、、、
君が代ではなく、、、我が君は、、、である
このことで、、ヘブライ語の文法が成り立つことになる、、、
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<、『和漢朗詠集』巻下の写本>
<江戸時代、木版本『古今和歌集』>
そして、その内容は、、、
■君が代の歌は”ヘブライ語??
「君が代」ヘブライ文としての意味
「君が代は」の部分のみヘブライ文ではない為、「我が君は」から始まる歌を、「皇太神宮年中行事の雑歌」二首を混えて訳出したものを、挙げてみることにします。三首の歌の重複する部分を省略し、まとめると次のようになります。
1.我が君は(の) 2.千代に八千代に 3.御坐さむことは 4.命を請はば 5.細石の 6.巌となりて 7.苔の生すまで
[ヘブライ語修復訳]( )内は、筆者注。
1.そして、私(このヘブライ文の語り手であるヤーウェ神)は貴方の立ち向かう者(ダビデ)を批判するだろう。
2.彼(イーシェ)は必ず、私に決めるだろう。
3.私は、彼を悲しませるような知らせは遮るだろう。
4.貴方(イーシェ)は傷つけられ苦悩した。
5.(このヤーウェ神に語りかけられている民と同じ)血続きであるところの私達のイーシェ。
6.貴方(イーシェ)が完遂させたしるしを、彼ら(七大天使)は告げるだろう。
7.私達のこのような証人による救い主。
この訳を見る限りにおいて「君が代」は、長文で記されたものの一断片に過ぎないことを読者は理解されることでしょう。実際にはヘブラい語の長文であったものを、覚えやすくする為に、短く切って一つの歌謡としてまとめたのでしょう。これは未来の日本国で行われる最後の審判についての予言であります。七つの短文について一つ一つ説明を加えることにしましょう。
1. 私は何々と語られるこの私とは、ヤーウェ様のことです。立ち向かう者とは、双子の神の弟、サタンと化したダビデのことであります。雑歌では、「わが君の」となっていますが、「の」の場合は、「私達の立ち向かう者」という意味になります。直訳は、打ち付けですが、批判としました。
2. 「ちよにやちよに」、は「や」を挟んで、「ちよに」が二つ続いています。「ちよに」が一つのヘブライ語の動詞として捉えますと、y音を挟んだ同じ動詞という形は、前者が完了形、後者が未完了形になり、彼は必ず~するだろう、という意味の典型的なヘブライ文になります。この場合の彼とは、イーシェ、即ち、インマヌエル・イエス様のことです。別サイトで述べたように、インマヌエル・イエス様は、幼少時から、双子の神、双方の助力を得て育てられました。ヤーウェ様とダビデの両方に思い入れはあるであろうものの、最後の審判の時には、必ずヤーウェ様の側に付くだろう、ということを云ったものです。そして、「ちよ」についてですが、原音として想定されるヘブライ音は、「ちを」に近いのです。ところが、日本語では、「を」自体、助詞の性格が色濃かった為か、「ちを」という名詞が生まれてきませんでした。そうしたこともあって、「ちを」は或る時期に「ちよ」に変えられたと考えられます。また、古写本では、「ちよね」とあるものも見受けられますが、母音操作という視点から眺めた場合、「ね」でも「に」でも、子音が、nでありさえすれば、どちらでもよいということになります。
3. 彼を悲しませるような知らせ、とは何か、今のところは不明です。
4. 傷つけられ苦悩した、とは十字架上の処刑について云ったものでしょう。
5. 「いしの」は、「私達のイーシェ」という意味です。血統とは、このヤーウェ様に語りかけられている民と同じ血筋という意味でしょう。「さざれ」がそれですが、さされ、が原音に近いとすると、意味は変わってきますが、さざれ、が伝承通りと思われますので、それに準じました。
6. 十字架へと至ったその経緯について、七大天使が証言するだろう、という意味でしょう。
7. 最後の審判の時に証言する救い主とは、インマヌエル・イエス様のような証人を伴った救い主達で、救い主とはキリストのことですから、ヘブライ語では「モシア」。この和歌の場合、アを除いて、mosiのo.i.の母音を、u.u.に変え、musu「むす」にしたのであります。
古代日本とヘブライ一掃政策
―卑弥呼から壱与へー
西澤徹彦
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、、、、だ、そうです、、。
こうなると、、、歌うの?、、起立するの?
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古代倭語は、縄文時代に渡来した、○○○人が使っていたヘブライ語が残っていたのだそうです、、、。
※そして、、「卑弥呼の弟はヘブライ人」と西澤氏は言います、、、
それは、「隋書倭国伝」の次の箇所を
有女子名卑彌呼、能以鬼道惑衆、於是國人共立為王。有男弟、佐卑彌理國。
卑彌呼という名の女性がおり、鬼道を以てよく大衆を魅惑したが、ここに於いて国人は(卑彌呼を)王に共立した。弟がいて、ヘブライ人(佐卑彌理國=ヒブリ国=ヘブライ国)である。
、、と解読するからです。
もともと倭国に渡来していた王は、新たに渡来したイーシェ(イエス;伊勢)の弟子のゼベダイ(ヤコブ、ヨハネ兄弟の父;邪馬台)の親族の定住を認めました、、、、。
※、、、もう別世界になってしまいますね、、
※日本史の謎、、、まだまだ、、世の中、ひっくり返るかも、、、
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言葉の翻訳から発生する意思の誤解は、当然というか、間違いを起こすことはあるでしょうね。 ※いま科学や学問の進化が、翻訳を更新して、歴史を引っくり返すことがあるかも知れません。 いや、、、歴史の真実と虚とを、とんでもない展開で説明するのです。
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