図書館から翌日午後に電話があり、新潮社版、三島由紀夫全集全42巻のうちの第5巻の中に「沈める瀧」が収録されていという。
ぶ厚い黒表紙のまるで、聖書のような、、体裁である、、
■「沈める瀧」 第一章
登場人物が紹介されます、、
■城所昇(きどころ のぼる)27歳 主人公である、、祖父の城所九造は電力界では誰一人知らないものは者はいないというほどの大物財界人、、
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、、、九造は鹿児島の産である。明治12年父は旧藩主の東京の屋敷の執事となり、家族ともども上京する。やがて九造は、明治時代のの実業家にとって共通の師父である福沢諭吉の塾生となる。
明治31年に、すでに福沢諭吉は、実業を論じて、水力電気の開発に目を付けていた。
九造は大いに共鳴したが、十数年後には九造自身が電力事業に携わって、東北地方の公益事業を手中に収めるにいたっていた。、、、
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さて、この人物 、城所九造のモデルは誰なのだろうか?ネットで推理することにする、、。
例えば、、日本初の電力会社は「東京電灯」である。現在の「東京電力」の前身でもある。
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1882年3月18日、渋沢栄一・大倉喜八郎らは、東京電燈会社設立を出願。7月、横山孫一郎・大倉喜八郎ら計画中の電燈会社と合同し、大倉組内に東京電燈会社設立事務所を設置。12月14日、創立をふたたび出願。1883年(明治16年)2月15日、矢島作郎、藤岡市助、大倉喜八郎、原六郎、三野村利助、柏村信(第十五国立銀行支配人・日本鉄道会社理事[2])、蜂須賀茂韶など数名からなる発起人が国から会社の設立許可を受ける。富国強兵に電力は今後欠かせないという判断の元、資本金20万円で前年に出した企業創立の請願書が認められたものだった。
1886年(明治19年)7月5日に企業活動を開始し(資本金20万円)、1887年(明治20年)11月には東京の日本橋茅場町[3] から電気の送電を開始する。この年の末には、火力発電所を東京5箇所に設置する工事を始め、直流送電を行った。11月29日、第二電燈局は市内配電を開始した(最初の公衆用配電。直流200V。火力発電)。しかし、旺盛な電力需要の高まりに交流送電への転換を余儀なくされ、1893年(明治26年)には200kWの国産大出力交流発電機を備えた浅草火力発電所の建設を開始。3年後に完成させた。
この時、浅草発電所において東京電燈はドイツのAEG製交流発電機も併せて購入使用したが、これは交流50Hzによる電気を供給するものであった。これに先立ち関西の大阪電燈がアメリカゼネラル・エレクトリック製の交流60Hz供給発電機を採用したが、これが現在まで続く日本の東西で商用電源周波数が異なる原因となっている。
1895年、甲州財閥の若尾逸平の事業体が東京電燈を買収した。以後、1927年までは若尾氏の一族を取締役または社長とした経営が行われていた。
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初代社長は、矢島作郎
矢島 作郎(やじま さくろう、1839年(天保10年1月[1]) – 1911年(明治44年)11月7日[1])は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。
経歴
山口県出身[1]。和学と漢学を修め、英国に留学し経済学を学ぶ。大蔵省に入り、紙幣助となる[1]。東京貯蔵銀行、大阪三軒茶屋紡績会社、東京電燈(株)を設立、重役となり[1]、周陽銀行取締役頭取を務めた[1]。ほかに正則英語学校を創立した[1]。
1889年の東京市会議員選挙に麻布区から立候補して当選した[2]。1891年、衆議院山口4区の補欠選挙で当選した。衆議院議員を1期務め、1892年の第2回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1911年に死去した。
なのかなあ、、、、、、。
次には、、松永安左エ門
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松永 安左エ門(松永 安左衞門、まつなが やすざえもん、1875年(明治8年)12月1日 – 1971年(昭和46年)6月16日)は、明治末期から昭和にかけて長く日本の電力業界において活動した実業家である。
長崎県壱岐島出身。「安左エ門」の名は父の名を襲名した(3代目安左エ門)もので、幼名は亀之助。石炭商などの事業を手掛けたのち明治末期から九州で電気事業の経営に関わり、1922年(大正11年)からは20年にわたり大手電力会社東邦電力を主宰した。太平洋戦争下では一旦実業界から退くも、戦後の占領下で電気事業再編成審議会会長として再起。電気事業再編成を主導して九電力体制への再編を推進し、その強硬な姿勢から「電力の鬼」の異名をとった。その後は電力中央研究所理事長に就任。また私設シンクタンク産業計画会議を主宰して日本の産業経済全体について政策提言を行い、政府の政策に大きな影響を与えた。
大正時代に1期のみ衆議院議員を務めた経歴も持つ。美術品収集家、茶人としても知られ、「耳庵」(じあん)の号を持つ近代小田原三茶人の一人でもある。中部電力第5代社長松永亀三郎は甥。
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素晴らしい、、、、Good!!
イメージとして「電力の鬼」と評されることではドラマにピッタリなので、、「松永安左エ門」これでしょう。
つまり、、小説の主人だる 城所昇(きどころ のぼる)27歳 は、この方の孫にあたる設定でイメージして読みたい、、。
この方の孫に対する電力関係者の振る舞いを思えば、、、小説が、、実に面白くなる。
■脇役の瀬山(総務課で事務職気質)
かって祖父の城所九造の元で書生として勤めたことがあり、昇に対する対応は「お坊ちゃま」対応であるが、、事務屋である、この男の周到な計画が突然崩れる。冬に向かい一切の交通が途絶えるこの過酷な現場から離れ、、東京に帰る、その日に、、なんと、、ランドローバーがエンジントラブルで動かない、、帰れなくなるのだ、、つまり6か月間の越冬に付き合わなければならない、悲劇を演じます。外界と拒絶された現場の中で、主人公と徐々に人間的な対話がはじまる、、、。
この小説を愉快に運んでいる。
■顕子(あきこ)上流社会の有閑マダム
主人公の昇と愛人関係、出会のころは表情のないお嬢様、不感症的な体質のため男を変えても一度きりの付き合いばかり、一度きりの付き合いでは主人公の昇と共通する。主人公がダムの設計師として長い越冬に入ると、追うように日増しに感情が宿るようになる、、ダム現場の近くに宿泊し主人公と附合を重ねる。夫が気が付いて銀山平の宿の妻の元にくる、、主人公の昇と話し合うが、、、修羅場にはならない、、夫は妻を認めるのは自分しかいない、、と確信している、、顕子が感情を取り戻していく、、主人公昇との間に、、共通の心境にずれが生じてくる、、やがて、、、
「沈める瀧」の題材が、、この先に解ることになります。
映画化しても不思議ではないと思います、、、。
つづく
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