自営ソーラー発電所が落雷で修理代200万円など

ブログを暫くお休みしました。
ビジネスに追われて、忙しいのは忙しい、、家に帰り就き酒を少々入れるだけで、、夢現つにその日が終わる。
この間、、、思ってもいない印西の50kw発電所2か所がパワコン(インバーター)が全壊するという事故が起きたりもした、、原因は落雷と思われるが定かでない。本来はパワーコンディショナーは10年保証であるから修理は無償なのだが、自然災害だと保証の対象から外される。

1基は「保守合算発電補償契約」をしていたので基盤交換作業で無償修理となったが、、某大手不動産建設会社に委託した、、2基目の装置は、、始めに250万円以上の修理代請求がありました。チェックすると機器の価格が定価で請求されおり、市販価格とかけ離れているので、、再見積もりを要求、、交渉、、結果200万円となった。
こちらも、、「損害保険」に入っていたので「全額補償」された。、、一安心であるが、、電力会社への売電額はやや下がってしまった。
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もともと本格的なビジネスは想定してはしていなかったが、原発事故以降に自分たちの消費する電力は自分たちで発電するくらいの意識で、参加したささやかな事業だが、、。

今後は故障も当然計算に入れ、、さらには老朽化対策、、撤去廃棄費用の計算も視野に入れておく必要がある。
固定資産税、借地代や草刈りなど諸経費を考えると、、素人が思うほど楽チンなビジネスではない。
が、、100%電力会社が買ってくれるという現時点の仕組みでは、ビジネスになる。、、、以前にも記したが、、東京電力は電力の買い取りについて「契約書」を結ばない、、、という信じられない売買が行われている。
理由は国が決めたことだから、、と言います。
国の方針が変われば、、売電価格は保証されない、、と言うことだ。

最近、、買い取り明細書の書面が変更されたのだが、、驚いたことに「検診メーターの記載」すらない、通知書が送られてきた。
それは無いだろう、、と問い合わせると、、翌月から検診データを記載するようになったのだ、、どうも、、、国家官制企業の体質が残っているようだ。、、もっとも現在は
「原子力損害賠償・廃炉等支援機構(実質は日本国政府)から莫大な資金援助を受けている」、、ので実質は、、国営企業と言ってもいいのですね、、。

素人としては、電力も分散化して自治体レベルで、、地産地消+ネットワークする意識が必要ではないか、、と思います。そもそも、送電線の無駄を計算すると、、、どうなのか、、という意見もありますし、、危機管理の問題もありますし、、戦前の関東配電を引き継ぐ国力偏重構想(集権型。大型化)もどうかな、、と思います。
簡単に言えば、、電力もコンピューの歴史変化のように分散化集中型のネットワークにするべきだと、、思うのです、。
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<ソーラーライト7000台突破記念ランチミーティング2019.03.08>
wikipedia———-
東京電力株式会社

1883年(明治16年)に設立された東京電燈が始まりとなる。
その後、大日本帝国による国策により、第二次世界大戦直前の1939年(昭和14年)4月、発電および送電設備が、半官半民の企業であった日本発送電の管轄となり、さらに太平洋戦争直前の1941年(昭和16年)8月には首都圏における送電事業が「関東配電※」に移管させられた。
太平洋戦争終結後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による再編命令が下され、1950年(昭和25年)11月24日にGHQがポツダム命令を発したことで電気事業再編成令と公益事業令が公布され、1951年(昭和26年)5月1日、関東配電の営業地域を引き継ぐ形で発足した
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2011年11月以降、原子力損害賠償・廃炉等支援機構(実質は日本国政府)より毎月数百億から数千億円規模の資金援助を受けており、2018年3月31日現在で累計7兆5500億円。この資金援助は無利子の融資であり、仮に将来的に全額が返済されたとしても、国は1千億~2千億円の利払いを負担することになる。当社は、機構からの交付資金を特別利益として会計処理しており、バランスシートに負債として計上していない。

国は、上述の資金援助とは別に、福島第一原子力発電所1-4号機の廃炉・汚染水対策に関する研究開発等、研究施設の整備等及び実証事業に対して、毎年数百億円規模の財政措置を講じている。

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※関東配電

1942年、国家総動員法に基づく配電統制令により、東京電燈、甲府電力、富士電力、日立電力が合併し、関東配電が設立された[1]。

このとき、東京市電気局(現東京都交通局)が運営していた火力発電所による電気供給事業が、関東配電に委譲された[2]。山梨県の宮川電燈株式会社、福島県の福島電灯が1940年に着手した箒川発電所建設工事、埼玉県の粕壁町営電気事業組合の電力電灯事業、神奈川県秦野町の町営電気事業、東京市の王子電気軌道の電灯事業、茨城県の水浜電車の電力事業など、各地の電気事業が関東配電に統合されていった。

1951年5月1日、東京電力株式会社に施設を「現物出資」し営業停止。

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