けふはぼくのたましひは疾み
烏からすさへ正視ができない
あいつはちやうどいまごろから
つめたい青銅ブロンヅの病室で
透明薔薇ばらの火に燃される
ほんたうに けれども妹よ
けふはぼくもあんまりひどいから
やなぎの花もとらない
、、、
春と修羅
(mental sketch modified)
心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲てんごく模様
(正午の管楽くわんがくよりもしげく
琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾つばきし はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
、、、、、、、、、、、、、、、、、
青空文庫 春と修羅 (全文あり)
宮沢賢治 『春と修羅』
賢治の詩は自分にはとても難解だ、、遠く、、しかも、まるで、、幻想世界を歩いている賢治が、、異次元の現実世界を見せてくれるようで、、、、異次元の現実、、これは今、突然自分の頭に浮かんだ言葉だが、意味すらよくわからない。
8/3経路;花巻温泉-宮澤賢治記念館-賢治の生家-身照寺-花巻農業高校(羅須地人協会)-小岩井農場-盛岡駅
現在の花巻駅 賢治は9回この駅から上京している–
■妹トシの死
花巻高女から日本女子大学に進んだ妹のトシは幼いころから仲の良い兄妹でした。優秀なトシであったが卒業を前に結核で入院する、、母と賢治の献身的な看病で、、一時は帰郷して母校の教諭となるも、、1922年11月27日他界する。
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音楽教師と二美人の初恋――1915(大正4)年3月20日から3日間にわたって、岩手民報紙上に連載された記事は、こう題されていた。
H学校の音楽教師がバイオリンの個人教授をしていた女生徒2人から好意を寄せられ、1人と相思の仲になる。だが、秘めた思いは学校に知られ、どの恋も成就せずに終わった……。
※岩手民報新聞の記事
マイクロフィルムに収められた古い三面記事に、思いがけないトシの初恋と、修羅(しゅら)の日々が隠されていた。、、という。
今となってみれば、たわいもない内容だ。しかし、当時4300部とライバル紙に比べても見劣りしない部数が発行されていた地元新聞の社会面トップに掲げられただけに、関係者に与えた衝撃は大きかっただろう。
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「恋と病熱」は、この記事と関連するのだろうか
永訣の朝
けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
うすあかくいっさう陰惨いんさんな雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜じゅんさいのもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀たうわんに
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛さうえんいろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
…、、、、、
http://why.kenji.ne.jp/haruto/147eiket.html
※(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
高熱のとし子は、いきなり、枕元にあった二つの欠けた陶椀を賢治の胸元に突きつけて、 「あめゆじゅとてちてけんじゃ」と叫ぶ、、
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
「賢治さん雨雪(みぞれ)を取ってきてちょうだい」
※(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
「雨雪(あめゆき)」、、その湿った氷の言葉が、、映像とともに繰り返し脳裏に突き刺さる、どうすることもできない哀しみ、、そして賢治とともに嗚咽する自分がいた、、またもや、、異次元の現実、、は命の表現なのだと強く感じた。
妹トシの早すぎる死は、賢治に大きく影響を与えた。
その前年(1921.12)から1926年3月まで、、賢治は稗貫農学校(後の花巻農学校)の教諭の職についている。花巻農学校教諭時代は春と修羅などの旺盛な創作活動となった。
その後依願退職した賢治は、4月から宮澤家の別荘で独居自炊、開墾自耕の生活をはじめる。「本統の百姓」の向上を理想に「羅須地人協会」を設立する。
■国柱会
花巻農学校の教師になる前だが、東京で田中智学との出会いがある、、
妹トシの病気があり、東京に通う中で1920年日蓮在家集団の国柱会に入会する。1921年1月、父との信仰を巡る口論などがあり、、家出、、上京、、赤門前の出版社でアルバイト生活しながら国柱会の活動に参加、、理事の高知尾智耀から法華文学のサゼッションがあった、と言われる、、賢治の作品には、、科学的言語と法華経的認識が宿命的に組み込まれることになる、、、
拙者関連Blog
野原ノ松ノ林ノ陰ノ小サナ茅葺小屋ニイテ
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翌日21日11時半、賢治は「南無妙法蓮華経」と叫び続けながら、血を吐いた。 そして、その血をあえぎながら一人で始末した。 父の政次郎は「何か言っておくことはないか」と賢治に尋ねた。 「お願いがあります。国訳妙法蓮華経を千部作ってください。 ...
■修羅
ここでの賢治の修羅は、一般的に言われる修羅場に近い意味かと思う。
仏教的には、修羅は闘争心、、
六道輪廻は地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天で、人はこの六道を繰り返し生きてさ迷うこと。
輪廻の考えはバラモン、シンドウー教から、仏教に引き継がれ大乗教において六道に声聞・縁覚・菩薩・仏を加え、六道と併せて十界を立てるようになった、、と言われる。
※更に起源を遡り、、紀元前3000?アーリア人がインド系とイラン系に分かれた時に双方のインドラ神(漢訳の帝釈天)とアスラ神(音訳されて阿修羅)で、たびたび戦争となった、、このことからインドラ側から見ると、、阿修羅は争いのもと、、として人界より下に置かれ、、仏教にも修羅界として引き継がれた、、という説を採りたい。
つづく
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