特別展「始皇帝と大兵馬俑」&KINGDOM

国立博物館での特別展「始皇帝と大兵馬俑」に行く、、
2006年に教育U会の中国視察で、、実際の兵馬俑を観ているのだが、、当時は圧倒されるだけであった。
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紀元前247-210に「天下一統」、、(統一とは言わないらしい)、、して現在の中国史が語られる秦王朝、、十三歳で秦王に即位し三十九歳で天下を統一して「始皇帝」となり、十二年後に病死する。興味深い始皇帝と、その時代を百年後に司馬遷が「史記」に描いている。

また、1974年3月、、始皇帝稜の1.5kmで「兵馬俑抗」が発見されて、、当時の姿がありのままに色彩豊かな土偶としてリアルに残されていたことが発見された、、。

※現在の西安市の西揚村の柿の果樹園で井戸を掘っていたところ1mでは堅い赤い堅い層、5m掘ると不思議な陶片が出て来た、、
当初は始皇帝に関連するとは考えられなったが、実物の兵器などが発掘され、、その銘文に「相邦 呂不韋」とあり、、始皇帝稜との関係が判った。
推定で8000体もの等身大の兵士と馬の俑は黄土を焼いたものであった。
二号抗から発見されたのは、鮮やかな彩色の兵士俑で土色の土偶とは全く違っていた。

研究者によれば、かって王が死去した場合に、近臣、女官など多くの側近は服毒させられ、王の墓に埋葬される。また愛用の車馬なども生き埋めにされる。

秦の旧都にある秦公一号墓では162人の殉葬が見られ、秦の武公墓では66人、穆公には177人もの殉葬者があったと「史記」は伝える、、という。
始皇帝の埋葬では生身の殉葬を「俑」に変えたのでは、、ないか、、といわれる。

また、翌年には秦の時代の官使の墓から1154枚の「竹簡」が発見され、、その後も次々と「竹簡」が発見されるが、、始皇帝を記した「趙正書」と題する「竹簡」も発見され、、史記の中の「始皇帝」の名前「趙政」と文字の違いなどが判った。伝記から史実に、、始皇帝はリアルになってきた。

興味は、、ある、、が、、もう少し判り易い、楽ちんな書籍はないのか、、と探していたら、、なんと、、アニメで1000万部も売れた「KINGDOM」と言うのが、若者の中では評判だそうです。
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<残酷なシーンやSE■シーンがあるので成人向けアニメだそうです>

近所のTUTAYAで、、少し恥ずかしい気持ちを抑えて、、若い女性店員に「KINGDAM]が欲しいと言ったら、、「KINGDOM]ですね、、といって書棚まで案内してくれた。
秦の始皇帝の話ですよね、、と聞くと、、「そうです、おもしろいですよー」、と、一押しの様子、、最近の漫画ってすごいですね、、、けっこう史記の流れをベースにして、キャラクターを加えて、、ストーリーをおもしろく転回して行き、、全く新しい始皇帝を演出しているのに、、まだ歴史観を残していく、、飛び読みだが、、すっかり楽しんだ。

気になるのは、、史記の中でも始皇帝の実の親、、とも言われる「呂不韋」のことだ、、商人から実質的に秦国を支配する立場に上り詰める。、、一説にペルシャ人とも言われる、、
もう少し調査する。

伝説の文学とも言われる史記、、だそうですが、、、英雄の歴史が装飾され、更に信仰にまで高められ、、神や仏になるよりも、、「呂不韋」が自分の愛姫が妊振していると知りながら、王子の子楚に嫁がせ、、やがて丞相から相国という実質的な秦の支配者になる、、と言うストーリーの方が読者にとっておもしろい、、司馬遷は、、そう思ったに違いない、、

史記の呂不韋列伝では、、子楚が呂不韋に誘われて酒を飲んだ時に、この愛姫をたいそう気にいって求めた、、子楚を将来王につけようと考えていたので「寄貨を居くべし※」として愛姫を子楚に献上した。愛姫は懐妊していることを隠して子楚のもとにいき大期になって「政」を生んだ、、、と記す、、。「政」とは後の始皇帝である。

※「寄貨を居くべし※」
珍しい品物は買っておけば、あとで大きな利益をあげる材料になるだろう。得がたい好機を逃さず利用しなければならない意にいう。

アニメのKINGDOMに目を通してから、特別展「始皇帝と大兵馬俑」の展示品を、、眺めると、、イマジネーションが広がり、、展示会が10倍くらい楽しめます。

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