今は、、「はやぶさ」の開発協力メーカーで知られるが、当時はパソコンのトップシェア―を誇ったメーカーの関連企業の大宮支店に勤務していたのだが、、支店のあるビルは市役所の近くにあった。
この近辺の会社は、、正月の初出勤日には、、、ここの「氷川神社」に初詣するのが行事になることが多い。
※ただし、、この神社の祭神が何なのかを知る人は、、ほぼ居ない、、、。
この地域の初詣は、、ここの神社になってるから、、みんなで行こう、、というだけで、、知る必要も、、あまり、、ない。、、でも、、家内安全、商売繁盛、、今年も元気に頑張ろう、、etc、、全部お願いする。
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氷川神社(ひかわじんじゃ)は、埼玉県さいたま市大宮区高鼻町にある神社。式内社(名神大社)、武蔵国一宮または三宮、勅祭社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。宮中の四方拝で遥拝される一社。
東京都・埼玉県近辺に約200社ある氷川神社の総本社である。他の氷川神社と区別する際は「大宮氷川神社」とも呼ばれる。
、、、、、
現在の主祭神は以下の3柱。
須佐之男命 (すさのおのみこと)
稲田姫命 (いなだひめのみこと)
大己貴命 (おおなむちのみこと)
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、、、つまり、、、この関東に200社ほどある,よく見かける氷川神社の「総本社」であるが、、その祭神は「出雲」の神々なのだ、、、。
このことは、、出雲の勢力が関東地方にあったことを想像させる、、、。
長くなるので、、後で追求するが、、、。
だけど、、出雲のスサノウさんは、、荒ぶる神(暴風雨神)で、、田んぼの畦を壊すだけでなく、、神殿にウンコを撒き散らしたり、、機織り小屋に馬を投げ込んで、機織り女を死亡させだりして、、姉のアマテラスさんが怒って天岩戸に隠れたんですよね、、そう「古事記」に書いてあるんですよね、、
「、、営田の畔を離ち、その溝を埋め、またその大嘗聞こしめす殿に屎(クソ)まり散らしき。」
変なお願いすると、、怒って暴れるかも、、
拙者blog参照
「ザックリ 出雲の国譲り―① スサノヲが高天原から追い出されて地上で放浪する 」
ザックリ 出雲の国譲り―① スサノヲが高天原から追い出されて地上で放浪する
来月は社内シルバー旅行で、、出雲に行きますので、、少しお勉強します。 古事記は、、、40天武天皇の企画された帝紀、旧辞の討覈の事業を、天武没後二十五年(和銅5年、DC712)に完成、、太安万侶が42元明(女)天皇の代に献上したもので、、その...
勝者のヤマト側は、敗者の出雲側の悪口を書いたのでしょうか、、編集責任者の、、藤原不比等に聞いてみる必要があります。
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9/24、25日、、、シルバー4人組は、、2泊3日の「出雲を目指す旅」に出た、、、
日程は、、今回もH氏が立案から運転手まで、、ツアーリーダーを請け負ってくれたので、、他3名は、、まる投げで参加した、、、
9/24羽田->大阪->姫路城->倉敷(泊)9/25大原美術館->広島、錦帯橋->、厳島神社->玉造温泉->松江(泊)->9/26松江城周囲->足立美術館->出雲大社、歴史博物館->松江空港->羽田
という、、、今回も老人には、、かなり強硬なスケジュールだ、、、。
まあ、、ジーさん達の残り少ない時間を、、大急ぎで使ってきた、、ということだ、、、。
数十年ぶりとか、、初めて、、とか訪れる場所であるが、、口にするのは「まあ、、もう二度と来ないよな(これないよな?)」、、。
個人的には「玉造温泉」にゆっくりと泊りたかったが、、、ひと風呂浴びて、軽い食事の時間しか取れず、、、川沿いを旅館の下駄で歩く宿泊客の風情を、横目で見ながら、、松江駅近くのホテルに向かう、、心残り、、。
ちくちく、、嫌みを言うのは申し訳ない、、、
なにせ今回の旅行は、、台風18号が直撃した日程だったので、、、飛行機のキャンセルさえ心配したのだ、、不思議にも3日間とも天気は良好であった、、「俺が旅行とゴルフをするときは、絶対晴れる」、、と言い切るMさんの、、おかげ、、です。
■
姫路城の美しさには日本の美的感性を改めて強く意識させてくれたし、、
、、、後日追記、、、
■倉敷の旧街並みの景観も、やはり感性の豊かさを感じた、、、
、、、後日追記、、、
■厳島神社
、、この島には墓は一基も無い、、土に鍬を入れる畑は無い、、神の島として扱われているのだ、、平家一門の後ろ盾で造営された、、、
後日追記
■輝く、足立美術館の日本庭園
、、後日追記
、、と、、日本の美観を満喫、、、最終地の出雲に到着した、、、。
出雲大社本殿
よく目にする大きなしめ縄の建屋は「拝殿」で「本殿」は奥にあり、よく見えない、
、
祭神は「大國主大神(おおくにぬしのおおかみ=だいこくさま)」と言われている。
が、、実際は誰も見ていないのです、、、から、、「解らない」、、と言うのが正しいのだ、、。。
古事記によれば、、大国主神=オホアナムジはスサノウから6代目の子孫に当たる、、。
大国がダイコクと読めることから、、奈良時代に神仏習合により、、大黒様と習合する、、。
本来の大黒様とは、、、
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大黒天(だいこくてん)とは、ヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラ(サンスクリット語:Mahaa-kaala、音写:摩訶迦羅など)のことである。
密教の大黒天 – マハーカーラが元になり出来た密教の神である。
仏教の大黒天 – 密教の大黒天が元になり出来た仏教の天部に属する神である。
神道の大黒天 – 密教の大黒天が元になり、大国主命と神仏習合して出来た神道の神で、七福神の一柱としても知られる。
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ですが、、外国のものを取り入れて、、日本のオリジナルにする文化でしょうか、、
島根県立古代出雲歴史博物館
荒神谷遺跡から出土した358本の銅剣の謎は、、まだ解明されない、、、、。
※出雲を中心とする丹波、、越中、、越後の日本海連合と尾張、、関東、、蝦夷、が連合国として統一していく
※そして、、年に一度10月(神無月;出雲は神有月)には、、出雲において「首長会議」が行われていたのでしょうか、、
ただ、、安泰の時代は、、、、新たなヤマト連合が、、、覇権を求めてくる、、ことで終焉します。、
葦原之中津国を統治し、、地上の王となったオホアナムジ(大国大神)なのですが、、今度は高天原から度々の天つ神使者を派遣され、国譲りを迫られます、、抵抗を見せるも、、圧倒的な戦闘能力の差を認めて、、国を譲ることになるが、このとき出雲に荘厳な屋代を造営することを条件とします。、、これが出雲大社の創建神話です。
その後に、、高天原からニニギが天孫降臨してきます。
———つづく——-
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