もう一度、、、天岩戸の物語に戻り、、メモしておくことがあったわい、、。
■「ひい、ふう、みい、よお、いつ、むう、なな、やあ、ここの、とう」
1972年に京都護王神社で見習いをしながら「イスラエル10部族と日本の関係」を研究したイスラエルのヨセフアイデルバーグは、興味深い例をあげている。
「ひい、ふう、みい、よお、いつ、むう、なな、やあ、ここの、とう」
は、物の数を数えるときに使います、、、が、、この言葉は、、、どういう意味でしょうか?
知らない、、
ところが、、、古い伝承によれば、、、記紀による「天の岩屋戸」に隠れた「アマテラス」に、、外に出てもらうために、、、祭司の「コヤネ」が「祝詞norito)を唱えたのだが、、
これが、、、
「ひい、ふう、みい、よお、いつ、むう、なな、やあ、ここの、とう」であった、、という。
記紀には記されてはいないのだが、、
今でも紳道の鎮魂法の祝詞noritoとして使われているらしい、、、
実は、、これは、、、、「ヘブル語」なのである。
「ひぁ、ふぁ、み、よ、つぃぁ、ま、なーね、やぁ、かへな、たうぉ」
Hifa mi yotzia ma nanane ykakhena tavo
「ヒァファ ミ ヨツィァ ヤカヘナ タウォ」
その意味は、、、
「誰がその美しい方を連れ出すでしょう。彼女が出てくるために、誘いに如何なる言葉をかけるのでしょう」
となるという、、、。
つまり、、神代には、、、まだ、、「ヘブル語」が、この島の中で使われていた、、、のだ。
古代史を探る場合に、、、どうしても気になる
祭司を行う、、部族の中に「ヘブル語」に通ずる、、一団が居たに違いない、、、。
イスラエル10部族が日本に辿り着いた、、と、、すぐには言えないが、、
舎人である稗田阿礼は、、、、語り部として、、謡うが如く、、祈るが如く、、その記憶を、、発露したのだ、、。
太朝臣安万侶は神武天皇の皇子の後裔と言われている、、
古事記編纂のころ、、ヘブル語を語る部族を知っていたかも、、、
コメント