空と海と その⑤  高樹多悲風

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<空海の書は画と見える[飜]:[翻」>

場所と時とを、、、長安に戻す、、、、。

「窓を開けよ、、、」
空海は、言われるままに、恵果の枕元に近い窓を開けた。
十二月の冷気が、部屋に入り込んできた。
、、、
「空海よ、そなたにもはや授けるべきものはない」
、、
「空海よ、そなたに出会えて、本当に良かった、、、」
「わたくしも、、」

「わしは、じきに逝くことになるであろう。、、死は恐ろしゅうない、、」
空海は黙って聴いている、、、

「生も死も、一つのものぞ、生まれ、生き、死ぬ、、、この三つそろうて初めて生きるということが出来上がっている。生まれることも、死ぬということも、生きるということの違うかたちの現れにすぎぬ、、、。」

「空海よ、疾く倭国へ帰るが良い。その機会あらば逃すな」
、、、それから3日後に恵果は遷化した、、、。

恵果和尚から金剛、胎蔵の両部の伝法潅頂を受けた空海は、、唯一の正式な密教の伝法者である、。

恵果の碑文は、空海が書いた、、、。
一般的には、碑に刻む書は、必ずしも弟子が書くものではないが、、書家として優れていたため記すこととなった、、。

「俗の貴ぶ所の者は五常、道の重んずる所の者は三明なり、惟れ忠、惟れ孝、声を金版に彫る。其の徳は天の如し、蓋ぞ石室に蔵さざらん乎。嘗試に之を論ぜん。、、、、、壱千八百字の碑文を記した、、、。

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橘逸勢(はやなり)が西明寺に駆け込んできた、、。

「空海!聴いたか!、、日本より従者が来たぞ!」

「ああ、、聴いている、、大使は高階真人遠成(たかひなのまひととおなり)だ」
今回の遣唐大使である藤原葛野麻呂(ふじわらのかどのまろ)が帰国し、皇帝徳宗が崩じたことと皇太子が順宗皇帝になったことが、、伝えられていた、、これに対する日本からの使者として遠成が入唐したのだ、、、

日本の留学生として、、空海と逸勢は挨拶に出向かねばならない、、、
「急ぐぞ逸勢!」
、、、、
「実は、貧道、高階様に願い事がございます」
「何だ」
「帰りたいのです」、、と空海は言う、、、。
「この空海、蜜を求めてこの長安にまいりました、、その目的すでに果たしました」
「このうえは、一刻も早く日本に帰り、この教えを広めたいと願っております」

「しかし、、」高階は戸惑った、、
勝手に帰るわけにはいかない、、そもそも留学は二十年間ということになっている。
唐の朝廷からの許可も必要だ、、、。

皇帝への奏上文は空海が書いた、、、、
「留住学問の僧空海敬す。空海、器楚材に乏しく、聡五行を謝せり。謬って求撥を濫りがはしうして海を渉って来れり。草履を着けて城中を歴るに、幸いに中天竺の般若三蔵、及び内供奉恵果大阿闍梨に合い奉って、、、、、」

「空海、、俺を置いて行くなよ、、」逸勢(はやなり)は震えていた、、
「俺を独りにしないでくれ、、」
、、この長安で、もしも空海が居なくなってしまったら、、、どうする、、空海がいたから耐えられたのだ、、
空海は、、、この長安で、、宗門の頂きにたっている宗教界の有名人だ、、、だから、、要られた、、、

「お願い申しあげます」「お願い申しあげまする、、、」まるで、、子供が駄々をこねるようにして、、「この逸勢も日本に帰してくだされ」、、、高階大使に、、頭を下げる、、逸勢であった、、、。

、、、この後に、、橘逸勢は嘆願状を空海に書いてもらっている、、、。

内容は、、ちょっと意地悪だ、、、
「山川両郷の舌を隔て、未だ槐林に遊ぶに暇あらず、、、、」

「日本と唐との間は遥かに遠いし、自分は言葉が通じない、、資金も使い果たし、、唐の国からもらっている衣糧で命をつないでいる、、、ただ虫けらのような命を谷底に捨てるだけでなく、、日本の瑕である、、音楽については多少学ぶことができた、、この妙音をもって日本に帰ることを許して下さい、、。」、、、というもの、、

「そうだよな、、俺は、、、」、、空海の言う通りさ、、、。

橘逸勢(たちばなのはやなり)は空海と共に帰国がなった、、、。

■高樹

帰国の前に、、新たな皇帝憲宗に拝謁していた

「そなたに頼みがある、、書を所望したい」
「書を?」
連れられた場所は、三間四方の部屋であり、、三面の壁に仕切られていた、、。
二面は、何も書かれてはいないが、、古い一面には文字が書かれている、、、。

対酒当歌
人生幾河
譬如朝露
去日苦多
慨当以慷
幽思難忘
如以解憂
惟有杜康

三国志の時代、、魏の曹操の書である、、、
洛陽の宮殿の壁にあったものを、、、唐の時代に長安の大極殿に運ばせた由緒あるものである。
気の遠くなるような歴史の厚みであるが、、今、、空海は、、その書の前に居る、、。

「そなたが、この壁に何ぞ書いてみぬか」
憲宗皇帝のはっきりとした言葉が響いた、、

同行した橘逸勢と高階真人遠成は、、事態の大きさに息を呑み込んだ、、。

「われを、、試しているか、、、」
尻込みして断るか、、所望した相手は大唐国の皇帝なのだ、、断れない、、

「悦んでつかまりましょう、、では、、」

力抜山兮気蓋世
時不利兮騅不拠
騅不拠兮可奈阿
虞兮虞兮奈阿何

空海がこれを書きあげた時、、驚愕の溜め息があがった。
なんと、、、同じ戦国時代の楚の項羽の作である、、、。

余韻が冷めやらぬうちに、、空海は手に5本の筆を持った、、、。

なんと、、、筆は壁の下の部分から、、上に向かって真っすぐに線を大きく伸ばしていく、、、
そして、、、壁の下に横にひと筆、、、更に下から上に、、、もう一本の線が大きく伸ばされる、、、

壁一面に、、「樹」、、、と言う、、一文字を壁一面に大きく書いた、、、これは書というよりは画であろうか、、

「その樹は、曹植の「高樹」であろう」
曹操の子、、曹植の詩がある、、、
「高樹多悲風 、、、、」に始まる詩だという、、「高い巨大な樹には、悲風が多く吹く、、、」
空海は、、曹操の歌に連なる書を、、、書いて見せたのである、、、。

「みごとじゃ、、」
「これより”五筆和尚”と名乗るがいい」、、、と憲宗皇帝が言ったという、、話が残っている、、そうな。

「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」夢枕漠より、アレンジ、

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※この説のように、、下手な字だが書いてみた、、、、
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※このことから想像するに、、壁面いっぱいに一文字を書くとすれば、、、一本の筆では、細すぎる、、
大樹を書くには、、太い筆を使うが、、これを5本の筆を使ったら、、どうか
空海は、、一気に下から(大地から樹が立ち上がるように)書きあげるには5本の筆を指に挟み、、平均した筆圧で、、下から上に書きあげた、、と、、、素人は勝手に解釈した、、、。

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—–書きかけです——

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