市立図書館から借りて来た
①唯識三十頌(ゆいしきさんじゅうしょう)、、唯識思想
②龍樹 空の論理と菩薩の道、、中観思想
だが、、
どうやら、、「龍樹、、」の方が読みやすい、、ここから入り込もう、、、。
龍樹(ナガールジュナ)は、、
大乗経は「空(くう)」が釈尊の真意であり、、部派仏教が実在の縁起を論じていることを否定し、釈迦の本意に立ち直るべきだと主張する、、、。
アビダルマ哲学では、、法(ダルマ)とは、概念化された存在であり、それらを分類整理すれば、「五位七十五法」の体系になる、、そのうち現象世界に刹那に現れるものを「有為法」、、
その「縁起」とは、、他の法を因あるいは縁として現象世界に生起することである、、。
つまり、、瞬間瞬間の原因と結果の連続が現象である、、と、、言う
これに対して、、龍樹(ナガールジュナ)は部派仏教を批判し、、仏陀の真意は「空」であるとする、、。原因と結果が実体として存在するのでは無い、、あらゆるものは、、あらゆる因果関係、相互依存で成り立っているので、、結果自体も存在しない、、「空」である、、。
そして、仏陀が世間の常識をもって説いて来たが、、これは、仏陀の真意では無い、、
普遍的な概念を実在とはしない、、ものが生じ、また滅するといっても、、それは仮名(かめい)であり、、単に幻が現れ、、消えるということであり、、実体が消えるのではない、、更に幻という表現は、、真理を悟らせるために、、世間の言葉で仏陀が教示したものである(p126)(p128)
、、、どうも、、解るような、、解らないような、、「無知の衆生」には、、難解だ、、、。
それよりも、、、「龍樹」に関する「伝説」、生涯」に関する記述の方が頷ける、、、。
■ヤンチャ青年が出家して菩薩となる。
「龍樹菩薩」と言えば、、釈迦の次に仏教を興隆し広めた仏教史上、、最大の功労者と言われる方で、、日本のどの宗派でも「龍樹」を師として挙げない宗派は無いといわれている。
龍樹(ナガールジュナ)に関して、、その生涯を知る確実な資料は無い、、、。
鳩摩羅什(クマラジーバ350~409、344~413)訳の「龍樹菩薩伝」も伝承の域を出ないという、、
玄奘三蔵の「大唐西域記」にも断片的に記事があるが、、伝説の域であるという、、。
発掘調査によれば、、南インドのアンドラ地方が活躍した舞台であろうと推定している、、。
、、、そして、、龍樹(ナーガールジュナ)の主著は「中論」である、、、。
※「中論」は鳩羅什が付けた名前で、サンスクリットのテキストは発見されない、、、。
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、、、、ナーガルジュナは、(※釈迦滅後700年に誕生と言われる)南インドのバラモンの裕福な家に生まれた。ブエーダ経典を幼児のころに理解し、その後、、天文、地理、星宿、諸々の道術を体得しないものは無かった、、。
バラモンとしてあらゆる教養を身につけ、若くして学識の誉れが高かった、、、。
だが、、若かりし頃、、イケメンの3人の友人と一緒に、、魔術である、穏身の秘術(透明術)を学んで、、これを利用して王宮に入り、、宮殿の婦女達の多くを誘った、、百日ほどたつと、、宮中に懐妊するものが続出、、、、王は不快に思い、、臣下に探らせた、、、。
臣下が言うには、、「これは二つが考えられます、一つは鬼魅がとりついたか、、または、方術を何者かが用いて邸内に入り込んだかです、、入り口を閉じて、、門に砂をまきましょう、、、」
「もし、鬼魅であれば足跡は残りませんが、、方術であれば、足跡が残ります」
「人であれば兵をもって除き、、鬼魅なら呪いによって滅ぼすことができましょう、、」
王はその計を用いたところ、、4人の足跡が見つかった、、
王は勇士百名を率いて刀を空中に揮わせ、三人の首を切り落とした、、、
竜樹は身を縮めて、王の傍七尺(王の近くで剣を振り回してはならないので)に息を潜めていた、、そして、この時に、、、。
「もし、この厄難を逃れることができたら、、沙門を訪ねて出家しよう、、」と誓った。
「付法蔵因縁伝」「龍樹菩薩伝」に同じ伝説があるという、、、。
<蛇神ナーガ上の仏陀 カンボジア>
※龍樹と同じスタイルだ、、瞑想に耽る仏陀を雨から守った、、という
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なんと、、、、、、、
偉大な菩薩は、、母が病気とか、、民衆の苦難とか、、死生観とか、、、徳育的な理由ではなく、、その出家の誓いは、、ヤンチャして友人三人が殺されて、、命拾いした時に、、「これはイカン」、、と気がついたのだ、、、。
おそらく、、中国的に翻訳されれば、、この伝説は、、、無いだろうね、、、。
—–つづきます——
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