慶応3年11月13日、、龍馬暗殺2日前に、、、陸奥宗光に宛てたのが「龍馬の最後の手紙」だ、、
この差し迫った時期に、、のんびりと刀のやりとりですが、、書簡集の解説には、、
「慶応2年5月末にお龍との薩摩旅行の際に、、「刀剣図考」というカタログを取り寄せていること、、、慶応3年6月には、、兄権兵衛に送ってもらった銘刀「吉行」について、、大変喜ぶなど、、龍馬の刀についての関心は相当なもの、、」として、、、不自然では無い、、としていた、、、。
実は、、そのまま受け止めていたが、、、やはり、、解せない、、、。
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ここは、、、作家 加治将一 の「龍馬の暗号 最後の手紙に隠された謎」を支持したい、、、。
暗号を、、まとめると、、
①脇ざし=西郷の情報
②短刀=勝海舟らの情報
③長脇ざし=長州の情報
陸奥宗光と緊迫した薩長幕の情報交換をしていたのだ、、、、。
加治氏は更に、、それでは、、この時期に陸奥は、、誰と会っていたのか、、、
それは、、、アーネストサトーだという、、、、。
アーネストサトーと言えば、、、イギリスの外交官として幕末から明治にかけて、幕府、、薩長、、皇室、、と多くの接点を持ち、
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、東禅寺事件・生麦事件の賠償交渉、、下関戦争では高杉新作、伊藤博文とも交渉、、講和交渉の通訳を務めている、、
薩摩の西郷隆盛や、、小松帯刀、、に合って話を聞いている、、、。
土佐藩では、長崎でおきたイカルス号水夫殺害事件の犯人が土佐藩士との情報(亀山社中に嫌疑がかかった)ため、、後藤象二郎、、山内容堂の話を聞く、、、このとき桂小五郎とも会った、、。
大政奉還の際には、、
大坂に行き[17]、後藤象二郎・西郷隆盛・伊藤博文らと会談した。
王政復古の大号令が出されたために京都を離れ大坂城に入った慶喜とパークスの謁見で通訳を務めた、、。
1871年(明治4年)、鹿児島から上京してきた西郷隆盛と会った[24]。
廃藩置県後、アダムズと岩倉具視との会談で通訳をした(議題は、廃藩置県断行の状況や農民に対する課税問題、神仏分離令など)。
アダムズとオーストリア貴族ヒューブナーが明治天皇と謁見する際に通訳をした。
、、、、、、、、日本人女性武田兼[26]と結婚した。1872年(明治5年)、アダムズとともに甲州を旅行、さらにワーグマンを加えて日光を旅行した。1875年(明治8年)、二度目の賜暇で帰国した。
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作家 加治将一 は、この手紙は、、諜報であり陸奥と情報交換していたが、、、陸奥はアーネストサトー(イギリス=幕府側)に、、情報を漏らしていた、、、
つまり、、、龍馬は陸奥に裏切られた、、、、と言うのだ、、、。
自分は、、、この部分は、、、支持しない、、、。
Wiki—にもある通り、、アーネストサトーは多くの人間と接触し、、情報収集にヤッキになって動いていることが判る、、、日本人女性とも結婚している、、根っからの諜報部員だ、、、。
坂本龍馬が邪魔だと、、判断する理由が判らない、、、
、、、龍馬が、、平和路線をとると、、イギリスの武器輸出が減るからだ、、とでも、、言うのか、、、。
しかし、、、薩長が、、既に倒幕に動いているのは、承知しているはずだ、、、。
しかも、、アーネストサトーが、、今更、、幕府に情報を流さなくとも、、、龍馬や中岡慎太郎の情報などは、京都見回り組、幕府側はとっくに承知している、、、。
参考youtube
『龍馬の暗号 最後の手紙に隠された謎』 作家 加治将一
『龍馬の暗号 最後の手紙に隠された謎』 作家 加治将一 編集カット部分
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