「大連」その3  マンジュ・グルン

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<満州八旗; 後金、清時代から満州人は、その制度から旗人と呼ばれた>

※関東軍が掲げた「王道楽土」「五族協和」の宣伝ポスターでは黄色地に赤、青、白、黒のライン、、、を想起する。

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5年前から、、現地でITビジネス等を展開するIT氏が、、2日間しっかりサポートしてくれた、、、。
ITビジネス{等}と書いたのは、、IT関連以外にも、、彼が思いもよらないビジネスに挑戦していたことが、、今回判ったからだ、、彼の新たな側面を見せてもらった、。

IT氏は私の友人であり、後輩でもあり、良きライバルでもあり、、息子に近い年齢の好感の人物です、、、。
そろそろ、、青年実業家から、、壮年に入る歳になります、、教えられることも多く、、時に羨ましく思うこともあります、、。

彼は大連の街をマイカーで、、自由に動き回ります、、ホテルに迎えに来てくれた時は、、中国車に乗ってきました。

「今まで、日本車に乗っていたんですが、、最近物騒なので国産車にしました、、。」

名前は判らないが、、トヨタのレクサスクラスと思える車で、、裏道を走り、、高新区黄浦路沿いにある今回の交渉先に向かう、、、、

労働公園で写真を撮るなど
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や、、旧日本占領地時代の建物のある官庁街など、、多少の観光を含めて1時間ほどかけて目的地周辺に着いた、、、。
このあたりは大連高新技術園区(ハイテクゾーン)と言い、、「大連ソフトウェアパーク」もこの近くにあります、、、翌日に判ったのですがIT氏の出資する会社は、、このソフトウエアパークの中にあります、、、。

■パナソニック青島工場やジャスコの黄島の破壊は知られていない

インキュベータスタイルのビルの7Fの一郭に、、目的の会社はあった、
数人での起業会社と思われる、、こちらも中小企業だし、、気安い、、。

総経理のM氏は、、30歳後半から40歳前半と思われる、、、日本の九州で5年ほど働いたことがあり、、
日本語は流暢だ、、、デモの話題を出してみた、、、全く知られていない、、パナソニックもジャスコも、、、
「そうなんですかーー」と言った感想だ、、、

もっとも、、9/18の柳条湖事件の日は、、中国では「国辱の日」とされており、、大規模なデモも予定されているとの情報もあったが、、その、、震源地の大連が、、今のところ平静だ、、、、。
これは、上海市のデモが静かであったのと同じか、、、更に、、親日的ということか、、、。

明日も平静であることを祈るのみだ、、、。

ひととおりの会話と、、見積もりと、、値引き交渉と、、ほぼ、、段取り通りでビジネスは終了、、、、。

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さて、、、親日の大連であるが、、、
少し、、満州の歴史を遡ってみようか、、

16世紀末(日本では江戸時代)から、、20世紀(1912年;日本は大正時代)に中華民国が成立するまでの長きにわたって権勢を誇ったのが「清王朝」であるが、、その太祖といわれるのは、、蘇子河中流域で生まれた「ヌルハチ」です、、。

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ヌルハチ(弩爾哈赤)
中国後金の創始者(在位:1616年2月17日 – 1626年9月30日)。清の初代皇帝とされる。君主としての称号は満洲語でゲンギェン・ハン、モンゴル語でクンドゥレン・ハーン、廟号は太祖 、諡号は高皇帝である。なお、明の文献では「童奴兒哈赤」あるいは「佟奴兒哈赤」、朝鮮の文献では「老乙可赤」あるいは「奴兒哈赤」、清の文献では「弩爾哈齊」あるいは「弩爾哈奇」と記載されている。

満州族の「愛新覚羅氏」出身。生まれについては諸説あり、はっきりとは不明である。ヌルハチが生まれた頃の女真族は建州女真五部・海西女真四部・野人女真四部に分かれて、互いに激しく抗争していた。これを利用して明は、朝貢の権利を分散させることで飛びぬけて力の強い部族を出さないようにしていた、、、、

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■満州国:マンジュ・グルン
25歳の時に、、戦乱で祖父と父を失った「ヌルハチ」は、百名の兵を持って自立、、5年後には建州三衛を統一して1616年「後金国;アマガ、アイシン、グルン」を建てる、、、ヌルハチの勢力圏は、、「マンジュ、グルン」と呼ばれていた、、「マンジュ」の音を漢字にしたのが「満州」だ、、、、「グルン」は国のことだ、、、。

ヌルハチが死ぬと、、八男の「ホンタイジ」が後継者となる、、、

■清王朝
その後、同盟した、チンギスハーンの親族であるリンダーン、ハーンの遺児「エンジェイ」が元朝の玉璽(ぎょくじ;王の印象のこと)をささげたため、、ホンタイジは天命を感じて、、、、瀋陽にマンジュ人、モンゴル人、高麗系漢人の代表大会議により、、皇帝となり、、「大清」という国号を定めたのである、、、。

※後に石原莞爾らに見られる独立国家建設の象徴として担がれる愛新覚羅溥儀(ふぎ)は、清朝12代ラストエンペラーである、、。

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夕刻、、、IT氏が、歓迎の食事に誘ってくれた、、、

ここは、、、日本の飲み屋では、、ありません、、、
和食のコースと、、日本酒で、、すっかり大連にいることさえ忘れ、、酔っ払いになって、、ホテルで眼がさめたのは夜中で、、消し忘れたTVでは、、、「いくよ-くるよ」の漫才が流れていたのでした。
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—書きかけです—

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