NARASIA2011(松岡正剛のタイムマシンに乗って、、、)

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再開発ですっかり21世紀型のビルオフィス街になった、、品川インターシティーホールに行ってきました。奈良県の主催による奈良遷都1300年記念行事の一貫です。

「日本の源流と東アジアの風」

がテーマです。

総合進行役の松岡正剛さん(S19生、編集工学研究所長、東京大学客員教授)が言うように、、机を並べて座り”ふんどし”を下げるシンポジウムにはしません、、、のとおり、、

岡野弘彦+田中泯(みん)+井上鑑(あきら)という上質な、、3人のトークと踊りと演奏による舞台となった、、、実は「泯さん」の踊りには、未だ就いていけないが、、。
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松岡正剛さんを知ったのは、ビジネス系からだった、、、もう15年も前になってしまうかも知れない(直接話したわけではない、スタッフとは会っているが、、)

ITベンチャーが盛んになって、当社もビジネスを模索していた頃に、取引先から匠さんというコンサルタントと日立ソフトのTKさんらによるミドルソフトウエア「インテリジェントPad研究会」に参加することになった、、、、「インテリジェントPad」は、北海道大学の田中先生が展開する、ユニークなソフトだったが、
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この実用化モデルとして事例になっていたのが、、
松岡正剛さんが主催するISIS編集工学だった、、、
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編集工学研究所は、社会のさまざまな事象に編集工学を応用し、既存の枠組みを壊し、新たな価値を生み出すことを研究しています。

編集工学が開発した編集ツールとしての「インテリジェントPad」を、市役所の図書館などに提案したが、、すこし早すぎたかも知れない、、、。

※ISIS編集工学のソフトは、画面から奥に時間軸があり、周辺に「キーワード」が立体的に配置される、、、というものだったと記憶する、、例えば1600年で時間軸を止めると、、そこには、その時代の、政治、経済、文化、、あらゆるキーワードが周辺に現れる、、興味があれば、、横軸に更に進み、、詳しいデーターベースに入り込む、、、
知(智)のデーターベース、、、であった、、、。

開発者は「タイムマシン」をイメージしたものだと思う、、おそらくISISでは、、このコンセプトは現在も、消えていない、、

※ソフト名は「クロノス」

※学習用ソフトでは「XYZ日本史」、「高校理科基礎(東京書籍)」、「新代表的日本人」、、
図書システムでは、「電子図書街」などがある、、。

日立ソフトの「小学校向けインテリジェントPad(きりはり教室)」は、H市TJ小学校に納品実績がある、、。

その後、編集工学ISISには、注目したが、、壮大な企画資料は、見たことがあるが、、最近はITの話はあまり、、聞かない、、、。
インテリジェントPadは、すでに過去のものとなっている。

※智(知)の巨匠、、松岡正剛さんを、フアン(?)として身近に感じるられるのは、、同年代ということだと思っている。
同年代を生きてきた言葉や、観点が説得力をもって聞き手、読み手である自分に伝わってくる。

ロビーでの販売コーナーで、書籍を購入した、、、
「連塾―方法日本–Ⅲ フラジャイルな闘い、、日本の行方」春秋社 <松岡正剛>¥1800.

※連塾は、、2003年7月に第1講が始まって、、この本は第7講、8講が収録されている。
受講者は政治家、経営者、作家、芸術、文化、歌手、、と幅広い、、、。

まさに、、「松岡正剛のタイムマシン」に乗って、受講者は、歴史の空間を漂うことになる、、、。
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田中泯(みん)さんは、NHK龍馬伝の吉田東洋の役で、存在感の強さに圧倒され、追っかけで、、出演した「たそがれ清兵衛」のDVDを借りたりしたり、、ホームページを時々、、観ている、、
Min Tanaka ★ Rin Ishihara ★ Madada Official Web Site ★ | オドリは個人に所属できません/私は「名付けようもないダンス」そのものでありたいのです。田中泯 ★ I am just dancer. Dance cannot belong to individual.  I want to be “dance” itself which is non named.  Min Tanaka

なかなか就いていけない、、、今回も、、、
「、、、、世界中が基準にしている速度「時間」とは、まったく一致しないのです」、、そもそもリズムに身体をあわせるなんて、、機械?じゃあ無いんだから、、と、、言っていた。

赤チャンが、無意識に手足を動かしている、これが踊りだ、、とも言う、、、。
そういえば泯(みん)さんの踊りは、、そのようにも見える、、。

※たしか、、正剛さんが「弱法師(よろぼし)のよう、、」と言ったのが印象的でした、、、。

■弱法師(よろぼし)

能の曲目。〈よろぼうし〉とも。

四番目物。狂乱物。観世元雅作。クセは世阿弥作。五流現行。讒言(ざんげん)で家を追われ,盲目となって天王寺の乞食の群れに身を投じながら,清らかさと風流心を失わぬ少年俊徳丸を描く。
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※河内の国高安の里に住む左衛門通俊は、ある者の讒言を信じて、わが子の俊徳丸を追放しましたが、それを後悔してある年の二月、功徳のため天王寺で七日間の施行を営みました。
彼岸の中日、そこに弱法師と呼ばれる盲目の青年が施行を受けようと、杖にすがり我が身の不運を嘆きながらたどり着きます。

通俊は、この若い盲人を見て、汝も施行を受けよと施物を与えましたが、この時散りかかって来た梅の花も弱法師の袖に留まったので、通俊はこれも施行であると言えば、弱法師は乞食の身ながら梅の匂いに気持ちを通わす清純な心の持主で、天王寺の来歴などを語ります。

日暮れになると、弱法師は入り日の方角の西方浄土を拝み、難波の浦の美しい景色の数々を心眼に受けとめて悟りきった様子です。

通俊はこの弱法師こそが、忘れ得ぬわが子と気づき、父と名乗り、俊徳丸の手をとって故郷へ帰るのでした。
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※弱法師は見えはしないが夕日に向かって手を合わせ、昔歩いた難波の風景を思い浮かべながら杖を付きながら狂じて歩き廻ります。

しかし行き違う人にぶつかり、俊徳丸は自分が実際には心眼が開いた訳ではなかったのだ、という現実に引き戻されて歩き廻る事を止めてしまいます。

夜も深け、人影が無くなった所を見計らって、通俊は弱法師に父である事を告げると、、
こじき姿の弱法師は恥ずかしがって逃げようとします、、、

恥ずかしさのあまり、狂ってしまう、、わが子、、そして追う父、、この場面が本曲のクライマックスとなります。

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能舞の流れをくむダンサー、、、が、、田中泯(みん)、、で、、いいですか、、。
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正剛さんが、歌(短歌)の世界では、母なる大地に例えられる人、、と絶賛した、、
古事記と万葉の世界においては、右に出る人はいない、、という人財、、、。

今回は

「赤玉は 緒さえへひかれど 白玉の
君が装ひし  たふとくありけり <豊玉姫、記紀>

の解説から、、正剛さんとのトークに入った、、、実は文字より、音が興味があるという、、当時は、こんな発音であったのでは、、というのが、、(どちらかと言うと東北弁なまりのような発音)おもしろい、、、かって、、漢字が導入されて、、大和言葉に、(今で言うローマ字のように、、)漢字が、ふられていく、、、ただし、決して中国語には、成らなかった、、それは、言霊(ことだま)という、、「海族(うみぞく)」が残した、、古事記以前の日本文化の源流である、、(勝手に解釈してます)。
歌を理解するには、歌の背景を知るために、足であるくべきだ、、と、この87歳の元気な老人は言う、、例えば、「三輪山」については、三輪山から都や海を見下ろす歌があるが、これは、、三輪山に繋がる、尾根から見れば理解できる、、と言う、、

大和には 群山あれど とりよろふ
天の香具山 登り立ち 国見をすれば
国原は 煙立ち立ち
海原は 鴎立ち立つ
うまし国そ 蜻蛉島(あきつしま) 大和の国は
<舒明天皇>

現実には三輪山は低い山なので、、海は見えない、、しかし、三輪山は、あくまでも人との接点であり、、象徴である、、その先の尾根にこそ、、三輪山の本質がある(勝手に解釈してます)という、、、

「三輪山を しかも隠すか 雲だにも こころあらなむ 隠さふべしや
<柿本人麻呂>」

日本人が、遣唐使などで、海外に出たときに、唐で歌を詠んでいない、、という、、国内に入った途端に、、歌が詠まれる、、これは、、なぜか、、など、、
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※これについては、先般、味噌つくり体験の場で、学校の先生から
いやいや、、、、

63:いざ子ども早く大和へ大伴の御津の濱松待ち恋ひぬらむ (山上臣億良)

大唐(もろこし)にある時、本郷(くに)を億(おも)いて作る歌

とあり、遣唐使で唐にあって憶良の望郷の歌、、といわれている。
在唐中の歌、、、、と言われました、、、が、、私にはわかりません。

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興味深い、、トークが展開される、、、、。

「旅人の やどりせむ野の 霜降らば わが子羽ぐくめ 天の鶴郡(たずむら)」
<万葉集;遣唐使某が歌>
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今回のフォーラムでテーマを与えられたときに、、まるで、大学受験のように、発想が硬くなっていた、、初めは琴とか太鼓とか、、あまりに一般的な発想があったが、、正剛さんと話しているうちに、、発想が変わって、、、楽になった、、、
演奏の背景に「ホーミー」を流した、、、モンゴルの「馬頭琴」に合わせて歌ってもらった、、、。
「ホーミー」は、モンゴルの風の歌と呼ばれている、、不思議な音色だ、、、

それに、鈴の音が入った、、、NARASIA(ならしあ;奈良-アジア)の日本の源流と東アジアの風、、、に相応しい音楽になった、、

この後、、井上鑑と田中泯、、松岡正剛の朗読で万葉5首によるのコラボレーション

、、、、、、

「淡海(あわふみ)の海 夕浪千鳥 汝が鳴けば 情(こころ)もしのに 古念(いにしへおも)ほゆ<柿本人麻呂>
、、、、、、

「沫雪(あわゆき)の ほどろほどろに ふりしけば 平城の京(ならのみやこ)し 念(おも)ほゆるかも<大伴旅人>

が演じられた、、、結構難解ですが、、。

こちらは、和歌も、音楽も踊りも知らない、、が、、シンセサイザーの心地よい音と演者の姿と音読から、、大丈夫「身体が観じてくれました、、日本の源流、、NARASIA、、」

ありがとうございました、、
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インターネットで申し込んだのは、締め切りを一日過ぎていたが、、一名なので、、滑り込みさせてもらった、、、無料、、、幸せな一時であった。

奈良県知事、荒井正吾は、気になるのか、、奈良に足を運んでください、と盛んに言っていた。
文化人でもある。

NARASIA2011は、3月まで、2011年度予算のため2011、、実際は昨年さまざまなアクシデントのため、今日になったのか、、、。
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<再開発後の品川は別世界だ>

※拙者関連Blog「古事記とシュメール語、、」

古事記とシュメール語(日本人はシュメール人だった) | 東葛の風
言葉の翻訳から発生する意思の誤解は、当然というか、間違いを起こすことはあるでしょうね。 ※いま科学や学問の進化が、翻訳を更新して、歴史を引っくり返すことがあるかも知れません。 いや、、、歴史の真実と虚とを、とんでもない展開で説明するのです。

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