殆んどの方が、始めての経験だ、、、といい、、自治体関係者や技術者は想定を超えた事態という、、、
地震や津波は、、世間や国土の思いとは関係なく、、ただ、、、地球の摂理、、物理的なメカニズムのままに、、、大陸棚と太平洋プレートが、、、押し上げ、、跳ね返る、、地球創世記には、、もっと激しかったであろう、、この地球の運動が、、、人間の情とは、、、特に関係なく無情に運動しているだけだ、、、
このことは、殆んどの日本人が知っている、、、
日出ずる国の、、、無情だ
※参考link
Wikipedia–地震の年表—
地震の年表 - Wikipedia
—-巨大津波を予測していた男—
※次は四国沖か、、、
ある史実によれば、西暦869年の貞観(三陸)地震に伴い発生した津波は死者1000人を出したとされる。宍倉博士は、同じ地域で後年もう一つの津波が発生した有力な痕跡を発見した。恐らく西暦1300年と1500年の間に発生した津波だ。
そこで宍倉博士と同僚らは2010年8月、論文を発表し、「近い将来に再び(同様の津波が)起きる可能性を否定できない」と警告した。この論文は同氏の勤務する独立行政法人産業技術総合研究所・活断層・地震研究センター(つくば市)の発行する機関誌に掲載された。
、、、、、現在、宍倉博士の研究チームは、南方海域の南海トラフに注目している。地震とともに大津波が発生して四国と紀伊半島を襲う恐れがあるからだ。宍倉博士は、この海域では大津波がどうやら400年ないし600年に一度発生しているようで、最も最近の津波は1707年だったと指摘している。
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—貞観地震 ——
貞観地震(じょうがんじしん)は、貞観11年5月26日(ユリウス暦869年7月9日[2]、グレゴリオ暦換算7月13日)に陸奥国東方の海底を震源として発生した巨大地震である。地震の規模は少なくともM8.3以上であったと推定されている。現在の地名では、東北地方の東の三陸沖と呼ばれる海域にある太平洋の海底が震源とされ、地震に伴う津波の被害も甚大であったことが知られている。約数十 – 百年ごとに起こる三陸沖地震に含まれるという考えから貞観三陸地震、上述の津波被害の観点から貞観津波ともいわれる。
2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)との類似点が指摘されている[3]。
本震
発生日 869年7月9日
(貞観11年5月26日)
規模 マグニチュード (M) 8.3 -8.6
津波 あり
被害
死傷者数 死者約1000人[1]
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—過去に南海道沖で発生した地震 —
高知地方気象台
白鳳大地震 ( 684年) M8.4
仁和大地震 ( 887年) M8.5
康和大地震 (1099年) M8.3
正平大地震 (1361年) M8.5
慶長大地震 (1605年) M7.9
宝永大地震 (1707年) M8.4
安政南海地震 (1854年) M8.4
昭和南海地震 (1946年) M8.0
過去に南海道沖で発生した地震について分かっている分について年代を示すと下図のようになります。
下図の丸印については、遺跡の発掘現場で地震の跡が発見されているもので 南海道沖で発生した巨大地震の跡ではないかと推測されるものです。
現在までに古文書等ではっきりと記録が残っている南海トラフで発生した地震は次のとおりです
http://www.jma-net.go.jp/kochi/etc/jisin/jisin.html
※白鳳大地震 ( 684年) M8.4
このとき高知県は水没したと言われています。、、、
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早朝だったか、、深夜だったか、、うつらとラジオを聴きながら、、、
ほんとに悲しい、、、辛い事態だ、、、今は何も考えられない、、、しかし、、変えられずにはおかない、、、
この姿を目の当たりにして、、、、、、
、、それでも今年も桜は満開に咲きますよ、、、、、、
と作家で坊さんの某氏が語っていた、、、、
※おそらく、、、この国の人は、この無情をずーと引き継ぎながら、、生き、、てきた、、、、
記憶が薄れる頃に、、、災害が再び起こり、、、記憶から無くなることはなく、やがてはDNA化して、、、人種ニッポンとなったのか、、、
外国人が驚くほどに、、この災害に対するドライさ、、冷静さは、、この無情(あるいは無常観)にあるのかと、、、、思ったりする、、だから必ず再生する、、桜が今年も咲くように、、ガンバレ!ニッポン! <合掌>、、。
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※しかし、、、原発は、、どうなんでしょうか、、、
人災ではないのか、、、
従来から、ある、、あのズサンさ、、
民間で在るはずの東京電力だが、、、
原子力発電だけは違う、、、
内閣総理大臣の許認可事項だ、、、
電力会社、、、原子力安全保安院、、、学者、、、
またしても、、、甘いトライアングルが存在している、、、、
福島県の話どころでは無い、、、日本を危うくする、、、
この原子力安全院とは、、、
かっての悪評高い「サンセク」の別名ではないのか、、、、、、
原子力安全院には、、、東電、東芝、日立などのメーカーから人が送り込まれている、、、
また、、、電事連には経産省の天下りが多いと言われている、、、
しかも、、原発の作業員はやたらと下請け作業員が多い、、
誰も責任を負わなかった「サンセク」の実態だ、、、
過去も怪しい、、、米国ゼネラルエレクトリック社から日本に導入が決まったのは、読売新聞元社主で議員でもあった正力松太郎の力が影響していると言われる、、、
一般的な感覚で読めば、、正力を動かして日本に原子力発電を売り込んだに違いない、、と思える、、、
関西電力も、米国メーカーから輸入した、、、
この日本が世界で唯一の被爆国民であることを、、よく知っての売込みだ、、、
そのためには、、
さまざまな工作がなされたと、思わざるを得ない、、、
原子力発電という危険な怪物を、、「偽装三セク」という危険な組織が管理する、、奇怪な実態が見えてきた、、、
<参考 週間文春 3/31>
、、、日出ずる国の無情、、、
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※■ノアの箱舟■の製造
今回の津波に関して、その対策として、、又は計画として現代版「ノアの箱船」作戦を考えてみました、、
ノアの箱舟は
——-wikipedia————
『ギルガメシュ叙事詩』における記述 [編集]
アシの小屋よ、アシの小屋よ、壁よ、壁よ。アシの小屋よ聞け、壁よ察せよ。
ウバルトゥトゥの子、シュルッパクの人よ。
家をこわし、舟をつくれ。
持物をあきらめ、おまえのいのちを求めよ。
品物のことを忘れ、おまえのいのちを救え。
すべての生きものの種を舟に運びこめ。
おまえがつくるべき舟は、その寸法をきめられたとおりにせねばならぬ。
その幅と長さとをひとしくせねばならぬ。
ウトナピシュティムがつくった舟は七階だてで、各階には九室あったようだ。
七日目に舟は完成した。
洪水が起こると、彼は全財産、つまり銀や金、生きもの、家族、身よりの者、職人たちをすべて舟に乗せた。
すると、六日と七夜、風と洪水がおしよせ、嵐が国土を吹きまくった。
七日目になると、洪水をもたらした嵐は戦いに負けた。
それは軍隊の攻撃のような戦いだった。
海はしずまり、嵐はおさまり、大洪水はひいた。
空模様を見ると、まったく静かだった。
そしてすべての人間は粘土に変わっていた。
見わたすかぎり屋根のように平らになっていた。
天窓をあけると、光がわたしの顔にさした。
わたしはうなだれ、坐って泣いた。
涙がわたしの顔をつたって流れた。わたしは広々とした海を見回して岸を探した。
十二の場所に陸地があらわれた。
船はニシル山についた。山は船をとらえて動かさなかった。このようにして船は六日間ニシル山にとまっていた。七日目に、ウトナピシュティムはまず鳩をはなした。
鳩は休み場所が見あたらずにもどってきた。つぎは燕をはなしたが同じ結果になった。
そのつぎには大烏をはなしたところ、水がひいていたので餌をあさりまわって帰ってこなかった。
そこで彼は山頂に神酒をそそぎ、神々に犠牲をささげた。
『創世記』における記述 [編集]
地上の人間の業に怒りを覚えた神は「神に従う無垢な人」ノアに巨大な箱舟を作らせ、全ての動物の雄、雌一組ずつ箱舟に乗せ、来るべき日に備えた。
洪水により地上の人間の大半が死に絶えたが、箱舟に避難したノアとその一族は無事だった。
洪水から40日後、ノアは水が引いたかどうか調べるため一羽の鳩を放ったとされる。
先述の旧約聖書『創世記』によると、
ヤハウェ(エホバ)神は地上に増えた人々が悪を行っているのを見て、これを洪水で滅ぼすと「神と共に歩んだ正しい人」であったノア(当時500~600歳)に告げ、ノアに箱舟の建設を命じた。
ノアとその家族8人は一生懸命働いた。
その間、ノアは伝道して、大洪水が来ることを前もって人々に知らせたが、耳を傾ける者はいなかった。
箱舟はゴフェルの木でつくられ、三階建てで内部に小部屋が多く設けられていた。
箱舟の内と外は木のヤニで塗られた。
ノアは箱舟を完成させると、家族とその妻子、すべての動物のつがいを箱舟に乗せた。
洪水は40日40夜続き、地上に生きていたものを滅ぼしつくした。水は150日の間、地上で勢いを失わなかった。その後、箱舟はアララト山の上にとまった。
40日のあと、ノアは鴉を放ったが、とまるところがなく帰ってきた。さらに鳩を放したが、同じように戻ってきた。7日後、もう一度鳩を放すと、鳩はオリーブの葉をくわえて船に戻ってきた。さらに7日たって鳩を放すと、鳩はもう戻ってこなかった。
ノアは水が引いたことを知り、家族と動物たちと共に箱舟を出た。
そこに祭壇を築いて、焼き尽くす献げ物を神に捧げた。神はこれに対して、ノアとその息子たちを祝福し、ノアとその息子たちと後の子孫たち、そして地上の全ての肉なるものに対し、全ての生きとし生ける物を絶滅させてしまうような大洪水は、決して起こさない事を契約した。神はその契約の証として、空に虹をかけた。
– 旧約聖書『創世記』より
ノアの方舟がたどり着いたところは、今のアララト山(現在のトルコ共和国東端の標高5.165mの山)の山頂、あるいは山腹だと記されている。
またアララト山にノアの方舟の痕跡を見たと証言する者たちが、昔から今に至るまで多い。
ノアの洪水は、『聖書』研究者など多くの見解では(『聖書』にある年代をそのまま計算すると)、西暦前2370年(紀元前3000年ころとも)に起こったとされている。
形状 [編集]方舟は「長さ300キュビト、幅50キュビト、高さ30キュビト」で3つのデッキを持っている。これは、タバナクル(テント式神殿)の3倍の高さであり、タバナクルの前庭の3倍の広さとなっている。この大きさによって、神の考えにおける人類の魂の救済という意味が同時にこめられていることを聖書の著者が念頭においていたことが示唆される [2] 。
さらに長さ300キュビトは60の5倍、高さ30キュビトは60の半分であり、このサイズには、60という数字が根底にあると言われている [3]。(1キュビトを伝統に従って約44.5cmとして換算すると、およそ「長133.5m、幅22.2m、高13.3m」となる[4]。)
またこの「長:幅:高=30:5:3」の比率は、現在のタンカーなどの大型船を造船する際に、最も安定しているといわれる比率とほぼ同じとなる。
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※おそらく、、、石原都知事の脳裏に、、は、、このイメージがあったと思う、、
「天罰だと思う」発言は、、被災者に対する暴言、、
失言謝罪という形にはなったが、、失言ではない、、誤解されただけだ、、、
多くの人が、、天災への恐怖を抱いたことは事実、、そして神の仕業と考える人も多いかもしれない、、
それは、ともかく、、歴史上に大洪水が発生し、、地上に凄まじい被害があったであろうことを、記している、、
”
そしてすべての人間は粘土に変わっていた。
見わたすかぎり屋根のように平らになっていた。
”
の旧約聖書の記述は、今回の東北津波後の景色をそのまま表現しても、おかしくない、、
脱出できたのは「ノアの箱舟」、、、
従って、、この経験を合言葉に、、災害対策を科学的に考えたらどうか、、、
個人的には、、具体的に「ノアの箱船」設計図を見てみたい、、
アイデアはたくさん出ると思う、、
考えてみた
※住居地域を高台にするのは、まず必要ですが、、、
漁業や関連産業、関連生活者の緊急避難対策です、、、
10mの堤防が役に立たなかったのですから、、30mの堤防を造るのは、現実的でないでしょう、、
発想を変えて見るのもいいのでは、、、
○家の2階を、ショックに強い「潜水艦」のような構造を持たせて、、そこに避難する
○屋上に頑強な箱船のようなものを配置する
○体がすっぽり入うる衝撃防護構造の小型舟、、浮き袋、水、緊急食など配備
○土石が入りにくい構造、、上昇避難、緊急避難路
○水位と供に上昇する床、、浮き床、、エレベータ?、
○高台への緊急避難用のリフト、、(スキー場のような?)
○、、、
ばかばかしいと思われるが、、アイデアはあっていい、、、
新たに街が計画できるので、、、
防波堤を築いて、景観を破壊するより、、
漁業、及び水産関連産業を集積して、、水産加工工場や冷凍庫、、船の修理や関連産業が入る5F以上の耐震ビルをして、を防波堤代わりにするのはどうでしょう、、、
海側は津波を直接受けないように、流れを避けるような直角にしてみるとか、、
停電対策として屋上には風力発電を設置、、、
老人などのために、、緊急用ノアの箱舟(浮き袋)など、、、
ニッポンの技術とアイデアに期待します、、、。
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