一茶双樹記念館

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小林一茶が千葉県流山の歌人「秋元双樹」の家に50回以上も来訪していたと言います。
現在、双樹の旧家は「一茶双樹記念館」として流山教育委員会が管理しています。

何故、長野県柏原出身で江戸で有名人の、一茶がこの流山にたびたび訪れていたのでしょうか。
一説に、安永6年(1777)信濃の柏原を15歳で江戸にむかった一茶(弥太郎)は馬橋(松戸市)で油屋を営む俳人でもある「大川立砂」の家に奉公していた時期があると言います。

北総地方には、、”悠々自適の境地”を楽しむ”俳人「山口泰堂」の一派”葛飾派”が多く、大川立砂もその一人でした。

※「目に青葉、山ほととぎす、初がつお」  山口泰堂 (1716年没)
意図的に青葉、ホトトギス、初鰹の季語を三つも入れたのは、古典俳句としては欠陥であるべき手法だが、このことによって初鰹の鮮度を際立たせて見事に仕上げた、、。と言われています。

油屋に奉公した弥太郎は、そこで俳句を身に付け、葛飾派の仲間との付き合いがはじまったと思われます。

布川の歌人「古田月船」は利根川の回船問屋や、「鶴老」は守屋の西林寺の住職、などと親交を持ち、北総地方は一茶にとって故郷柏原とは、違った懐かしい第二の故郷であったと記されています。

※流山の秋元双樹(秋元三左衛門感義。みりん醸造業)は金銭的にも一茶の最大の支援者と言われています。
※みりんは江戸時代は甘口の飲み物で、酒の飲めない人や女性に好まれ、流山のみりんは江戸から関東一円に広がりました。  また、明治にはオーストリアのウイーン万博に出品して有功賞牌を授与されたと言います。

あまり知られていないのですが、流山では多くの句を残しています。
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記念館には

・夕月や 流残りの きりぎりす

の句碑が建てられています。

この中で気になる句は、、、、そーですねー、、、。

・蝉なくや 柳ある家の 朝の月
・日本は 柳の空と なる夜哉
・畠打ちの 顔から暮る つくば山

などが、流山らしいんではないでしょうか。

記念館は、江戸川沿いの旧流山街道(車が1台通れるほど)沿いにひっそりとあります。

運営者情報
運営企業 会社名 株式会社インテグラルベース ※国税庁・経済産業省 設立 2018年5月 事業内容 インターネットメディアの運営 マーケティング支援 人事コンサルティング 等 運営サービス 切手買取情報Okutoro 士業JOB 着物買取情

記念館の隣には、画家 笹岡了一と妻の画家で歌人の秋元松子の主催したJAN絵画研究所「黎明会」のアトリエ跡があり、流山市に寄贈されギャラリーとして開放されています。
ティーサロンにもなっており、コーヒー菓子付(¥400)をいただき、ホンワカとした気分でくつろぎました。
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また、ギャラリーに、ポストカードが売ってましたが、チョット哲学を感じたこの3枚は無料でした。
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※追記2010.03.14
すぐ近くの狭い路地に近藤勇の陣屋跡があります。
解説はやはり近くの図書館に展示説明コーナーがあるそうです。
今回は通りすぎただけです、、、、。
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