【ヲシテ文献】漢字渡来前の日本を探る【ch桜】6-1
転載◎ヲシテ文献の世界へようこそ - 池田満の案内◎びーちぇの「ヲシテのクニ」 - 発見された日本の輝ける古代史◎縄文文字ヲシテ「手習い帳」 - 縄文文字のエキスパートにhttp...
縄文時代それは、、前1万5千年位から前2300位と言われています。
学校の授業では縄文時代は狩猟、、弥生時代は稲作、、、そんなイメージでしょうか、、。
推計による当時の日本の人口は、、
、、、のようです。
※人口から見ても、、縄文中期には、、26万人がこの国で生活したことになります、、、。
当然、、狩猟を中心としても、動物や木の実だけを採取する生活(どちらかと言うと縄文人をに対するイメージ)していたとは、、とても、、思えません、、。
発展の速度、、規模の大小はあるにせよ、、部族間紛争(軍事)、、紛争回避の交渉(外交)、、交易(経済)、、コミニュケーション(言語、文字、音楽、図画)、、衣食住の生活資材関連技術、、、祈祷や自然治癒のノウハウ(医療)、、インフラ(土木、建築)、、そして部族を維持する掟(法律)、、精霊信仰やシャーマンの存在(宗教)、、など、ダイナミックな胎動期社会があったに違いありません。
※日本語系統論の大部分が、、弥生時代起源説に立脚しているのである。
はたして、縄文時代の言語は弥生時代の言語によって駆逐され、消滅させられてしまったのだろうか。
六百年足らずの弥生期に弥生語は縄文語に完全に入れ替わったのであろうか。
こうした弥生期における言語交代の証拠はどこにもない。、、、、弥生時代の言語を「弥生語」、縄文時代の言語を「縄文語」と呼ぶことにする。
(縄文語の発見(じょうもんごのはっけん)、小泉保著書)
※
例えば、、
三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)は青森県青森市大字三内字丸山にある、縄文時代前期中頃(BC5000頃)から中期末葉(BC4000頃)の大規模集落跡。
は、、
遺跡には、通常の遺跡でも見られる竪穴住居、高床式倉庫の他に、大型竪穴住居が10棟以上、約780軒にもおよぶ住居跡、さらに祭祀用に使われたと思われる大型掘立柱建物が存在したと想定されている。
三内丸山遺跡の六本柱建物
※この社会に、、どんな文化があったのか、、、また、、どんな文化がこの国に伝わってきたのか、、、大きすぎるテーマではある、、。
★縄文時代から日本は文明国であった。★という検証
それは、日本の古代縄文文字の文献「ヲシテ文献」によるといいます。
※それまで倭語は、言葉はあったが、文字は無かった、、、そう教えられてきた、、
そして、突然に古事記という漢字(万葉仮名)による歴史が語られる
ほんとですか??
本当に文字は無かったのですか、、
※まず、古事記は、『帝紀』と『旧辞』という各氏族が持っていた資料をもとに、稗田阿礼が語り、、、、太安万侶が万葉仮名(漢字)で記録したといい、、、、『帝紀』と『旧辞』は、散逸されて現存しないという、、、、、
それでは、、、、、、、『帝紀』と『旧辞』は、どんな文字を使っていたんでしょうか?
※645年 蘇我一族が中大兄皇子らに滅ぼされるが、、この時、蘇我蝦夷は「天皇記」「国記」の書物をことごとく焼いた、、、という。
なんとも、、、怪しげな古代史なんですね、、、
そもそも漢字の起源は、前15世紀と言われているそうですが、、大陸から、それほど遠くない、この島に、、さまざまな民族がたどり着いたとしても、不思議でない、この島に、、
1500年以上も届かなかった、、、のだろうか、、
一般的には
※405年 応神天皇16年に百済から、王仁(わに)が、典籍を持って来日したころ、、漢文が日本に入った、、というのが妥当な説であるという、、。
しかし、、、
※中国においては、、BC221 秦始皇帝、中国統一、、その後に前漢、後漢が約400年続くが、、、
秦の始皇帝が中国統一してから漢字が日本に来るまで、、600年もかかったことになる、、。
「漢書」地理志に「夫れ楽浪海中に倭人あり、分かれて百余国と為る。歳時を持って来たり献見すと云う」とある(前1世紀頃)
つまり、、紀元前に漢に「、、歳時を持って来たり献見す、、」ということは、、毎年、中国に挨拶に来る倭人の部族がいた、、、ということでしょうから、、この部族の指導者は漢字を使っていた、、か、、理解できるのでしょう、、、。
※もっとも、、倭人とは、日本のことだけではなく、、辺境の文化の低い人種を指す、、ので、、ミャンマー、タイ(La・Wa)、カンボジア、ラオス、四川省北東部、陝西省南西部、、なども倭人と呼ばれていた。
「中国正史 倭人・倭国伝全釈」 鳥越憲三郎
※簡単に言えば、、倭人≒イナカモノ という意味だね、、、
、、が、、ここでは、、夫れ楽浪海中に倭人あり、、、とあるので、、日本が考えられる、、。
※また、、後漢書には「建武中元2年(57)、倭の奴国(なこく)、貢を奉りて朝賀し、使人は自ら大夫と称し、倭国の極南界なり。光武は賜うに印綬を以てす。」、、、とあるらしい、、、。
この金印は、「漢委奴国王」と刻まれているもの、、、。
<wikipediaによると、福岡藩主黒田家に伝えられたものとして明治維新後に黒田家が東京へ移った際に東京国立博物館に寄託された。>
更に、、卑弥呼の時代(中国は三国志の時代)は、魏朝への遣使(239)に対して「親魏倭王」という金印を授かっている
邪馬台国は、、、またも、倭と呼ばれているが、、外交交渉は行っていたのだから、、漢字は使っていたでしょう、、。
、、、あるいは、地中海には、、前1600年には、ヒッタイト語が広まっていた、、それが、全くこの島と無縁なのでしょうか、、例えば、倭(やまと)=シュメール人(前3000)説を採った場合は、、、、どう説明するのか、、
※素人の仮説としては、さまざまな人種が持ち込んだ文字や言語が、この島に着陸していた、、。
そして、部族を形成し、多少の争いはあったが共存していた、、しかし、、概ね、、
※2万年とか3万年前には、この島に、、南から北から新人が流入しているとされており、、、
1万年とか1万8千年前には、、沖縄、青森、南九州で土器や集落が作られ、、
※近年の発掘で、、縄文晩期のBC2600頃には、、高度な稲作文化があったとされている(佐賀県唐津、菜畑遺跡)ことから、、部族の定住と、、勢力争いが始まったのだろうか、、、、、、
弥生時代(BC300くらい)に入ると、、小国が乱立したのだろうか、、、
そうとう時間が経過して、、
後3世紀中頃中国の三国志時代に、、卑弥呼が倭国の女王(邪馬台国)となっている、、、。
、、、、、、、。
※勢力的には、、、卑弥呼の勢力、、、出雲の勢力、、、そして大和の勢力などが外交を含めて、、他を圧倒してきた、、。
「他」とは、熊襲や隼人や蝦夷や、その他ツチ・グモ等の小部族であったろうと、、、。
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熊襲やツチグモの神話は、、ユダヤと共通する、、、。
※ ヘブル語「ケモシュ(Kemoshi)」
(民21:19、モアブ人の守護神)
=”クマソ”、、、について、
イスラエル人エフデは策略によって短剣を上着に隠し持ち、ケモシュの宮に入り込み王を剣で刺し殺し(士師3:16-30)、ヤマトタケルノミコトも策略によって短剣を上着に隠し持ちクマソの王を刺し殺した(日本書紀) ・・・ という、全く同じ伝承を持つ。
ヘブル語で「トシュウェイ・グモ(Toshvei-gumot)」
(”穴に住む者”)
=”ツチ・グモ”、、、について
で、エドム人、すなわち、「岩の裂け目に住む者」(オバデヤ1:3)であり、”ツチ・グモ”という大和王朝に抵抗する、未開で凶暴な人たちだった。
これらの民は、モアブ人やエドム人そのものではなく、古代イスラエルの、(あるいは、イスラエル文化の影響を強く受けた)大和王朝が、(同じ天皇家一族の子孫であるのに)反攻する彼らを異民族視したことから、このようなヘブル語の名前を付けたと考えられる。 ( by. 「レムナント」誌・2004 10月号・p31、32、レムナント・ミニストリー )
http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/00000dna4.htm
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おそらく、、、文字はあった、、が、、、単に統一した文字は無かった、、のだろう、、と、、。
語り部の稗田阿礼が、文章ではなく「語る(口伝)」のは、、、よくある「弱者」の伝承方法をまとめたもの、、であろうと、、、。
強者による徹底した破壊や、迫害から逃れるために、、、近くは隠れキリシタンのように、、、あるいは、イスラム勢力から逃れた密教のように、、決して媒体には残さず、、人から人へ、、口伝を持って伝承した、、、。
、、、あるいは、偽装、、、観音菩薩に偽装した聖母マリア像といったように、、、強者の中に偽装して溶け込み、、、、地下深く、その水脈を保った、、、のだ、、と思う。
古事記は、、それらを、、、編集した、、編集長は「太安万侶(おおのやすまろ)」だ、、、。
※大胆に言ってしまう、、、
縄文時代には、、ある部族に、、文字はあった、、、しかし、、あえて口伝を持って伝承、、、文字を隠蔽した、、、。
やがて、征服者は、国際語の漢字を使い、古代倭語が進化して、、日本語ができてきた、、、しかし、、、
まだ、まだ、、、地下にもぐった、、ヘブライ語などが色濃く残っていた、、、が、、やがて、ひらがな、の発明とともに、、日本語は、、、急速に独自の進化を遂げた、、、、のだ、、と。
※■倭国(WAKOKU)という蔑称から日出国の「日本」に変身
天智天皇、天武天皇の時代に、、「白村江の戦い」に敗れ、、、大陸から独立した、この島は、、
ここで、、、統一した国家を目指した、、、。
※この時代に、、「倭国」という国名を、、「日本」、、に、、「大王(おおきみ)」という王の呼称を、、「天皇」、、に改称した、、、、。
半島からの執着から離れて、、この国の形を説明する公式歴史書、、古事記、日本書紀が編集された、、、
大陸から離れた小さな島に、、、ニュータウンを求めて移住した、、多くの民族は、、ここに
倭国から、、、新たな「日本」という国の形を内外に、、、示したのだ、、、。
※半島からの別離、、この時、、日本列島に住む「秦人」「漢人」「高句麗人」「百済人」「新羅人」「加羅人」などの、、、、民族の全てが、、「庚午年籍」という戸籍によって、、、「日本人」として、、統一されたのだ、、、。
この島国は、、その後、、海外からの侵略も無く、、単一民族化してゆくのだ、、、、。
そして、、国書である記紀は、、、、
この国の民は、、天から降臨してきたのだ、、、と、、単一民族国家であることを解説するという、、、。
、、、国家戦略を建てた、、、、。
拙者Blog「ニュータウン葦原之中津国島の謎 」参照
ニュータウン葦原之中津国島の謎
※この島には、、古くは3万年の昔より、、大陸から海洋から北から南から、、様々な民族が、移住してきた、、 やがて、民族、文化の混沌から、、、葦原之中津国島(ASHIHARA NO NAKATUKUNI)と呼ばれるニュータウンが創られた。 他国...
進化、、、それは、地下の言葉をも融合した新しい文化のことだろう、、、と。
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※もし、ヲシテが江戸時代の偽作とすると、まれに見る想像力の持ち主である。
聞きなれない言葉は、漢字に圧倒される以前に、日本で使われていた文字「ヲシテ」、、、、、、。
古事記、日本書紀は「ヲシテ」の文献から引用されたか、、、少なくも記紀と同じ文節があり、記紀より古いことは検証されているといいます。
近くは植民地政策で言語を強制した時代もあった。
古代においても、国際語の漢字に統一されていったのでしょう。
やはり、弥生時代の前にも、高度な文化が流入している。
漢字に翻訳すると、軽くなってしまう。縄文哲学は正しい「ヲシテ」文字でしか表現できないと、、、。
たとえば、縄文文字で「神」は
創生神:アメミウヲヤ
自然神:気体=ウツロイ
冷たく下がる力=シナトヘ
温かく昇る力=カクツチ
液体=ミツハノメ
固体=ハニヤスメ
地の神=シワカミ
重要なのは、この時代には偉人、指導者、祖先などを「神」とは呼んでいないことになります。
この文字を読み取ると、日本の古代史が見える、、、、、、のか。
イサナギとイサナミの話はヲシテ文献では史実に近い書き方らしい。
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一方、イサナギ様とイサナミ様は、
▲コノコロギミハ(ギミとはイサナギとイサナミ様のこと) ハラミヤマ ノホリテイワク▲
ハラミヤマとは、現在の富士山のことですが、
当時は大噴火前なので、地形など、現在とはかなり違っているようです。
ハラミヤマの山頂に登り、イサナギがマスカガミをかけて、御子の生誕を祈願した情景が詳細に書かれています。
このあたりの原文を掲げてみましょう。
出展は「定本 ホツマツタヱ」(池田満)
絵文字みたいに見えるものが「ヲシテ」です。
カタカナは便宜上付けたものです。
(クリックで等倍)
そして真剣な祈願がなったとき,
ハラミヤマの麓にあるハラミノミヤに戻りますと、
▲ヤマスミガ ササミキススム▲
というわけで、イサナギ様、イサナミ様は床神酒を飲んで、
子種を授かりました。
そして、ついに生誕のときを迎えます。
産着に包まれたアマテル
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※アマテル=アマテラス
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ヲシテの基本音韻48文字
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この話はYou Tubeで「ヲシテ文明」を30年研究している池田満さんとの対談があります。
深いです。すごいです。
【ヲシテ文献】漢字渡来前の日本を探る【ch桜】6-1
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縄文文字「ヲシテ」手習い帖
縄文文字ヲシテ「手習い帳」: プロローグ
これは、かなりつづく、、、、、、、です。
※2010.01.29追記
池田満さんによると、建国の初代王は”縄文初期である”といいます。
えー!と思う方も居ると思います。縄文初期というと、1万年も前になってしまう。
この時代に、日本が建国された?
ま-た眠れなくなってしまいます、、、、、、、よね。
※もし、ヲシテが江戸時代の偽作とすると、まれに見る想像力の持ち主である。
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筆跡鑑定
池田 満 「ヲシテ文献の世界へ ようこそ」: ホツマツタヱの伝本について 2)筆跡の鑑定
※2010.02.17追記 日本地名の源流 倭語の法則
http://www.imaken.biz/sakuhin.html
※出雲文字
出雲文字(いずももじ)は、出雲の石窟で発見されたと伝えられる神代文字。
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カタカナム文字
カタカムナ文明(カタカムナぶんめい)は物理学者の楢崎皐月が提唱した、先史時代の日本に存在したとされる文明。
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※筑紫文字(つくしもじ)
福岡県うきは市にある重定古墳の石室に記されているとされた神代文字。重定石窟古字とも称される。
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※
豊国文字(とよくにもじ)
豊後国(現在の大分県)府内の国学者である幸松葉枝尺(さちまつはえさか)が、1831年(天保2年)に入手した文書である『上記』において、この文字が用いられている。『上記』の序文には1223年(貞応2年)に編纂されたとある。
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※琉球古字(りゅうきゅうこじ)
「琉球神道記」に記載されている文字である。占い等に使っていたようである。
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阿比留草文字(あひるくさもじ)
いわゆる神代文字の一つである。出雲文字、節墨譜文字(ふしはせもじ)、薩人書(さつまびとのて)とも呼ぶ。
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