「竹展」 茨城県自然博物館 4/13

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竹の可能性を知るために、茨城県自然博物館へ仲間と視察にいってきた。
アジアの代表的な植物バンブーは応用が多彩で、日本文化には欠かせない。

今は竹の子が旬なので、注目されるが、一部では山林の竹林が管理できずに
荒れ放題になっているとの話も聞きます。
ところが最近ではその成長の早さを利用して「バイオ燃料」への活用が報道されている。
再生可能なエネルギー資源としてこれから、見直されるのではないだろうか。

http://www.nat.pref.ibaraki.jp/index.html
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実は今回は、「竹展」もさることながら、博物館と一体となっている菅生沼(すがおぬま:坂東市)の存在を知らなかったのですが、なぜか懐かしいここの景観に興味が湧きました。

かっては沼地のような流れであったと言われる、旧い江戸川の景観と同じ姿を残しており、江戸時代に今の河川に改修工事され以前の野田市あたりでも、江戸川(当時は太日川か?)は菅生沼のようなワイルドで広々とした流れだったそうです。

※つまり、この菅生沼(すがおぬま)に江戸川の「原風景」を見ることができるのです。
また1000年前の江戸川、利根川、印旛沼、霞ヶ浦はこんな姿だそうです。
———-江戸川の歴史(江戸川河川事務所のサイトから転載)————-

江戸川は茨城県五霞町・千葉県野田市地先で利根川から分派し、茨城県、千葉県、埼玉県、および東京都の境を南に流れて、東京湾に注ぐ流域面積200km2、流路延長60km(江戸川河川事務所資料)の一級河川です。

この江戸川は、江戸時代、人工的に造られた河川です。現在は千葉県銚子に注いでいる利根川は、江戸時代以前は埼玉平野をいく筋にもながれて、東京湾に注いでいました。当時、江戸川下流はその支川の一つで、太日川とよばれていました。徳川家康が命じたといわれている、江戸時代初期に行われた利根川の東遷事業(東京湾にそそいでいた利根川を現在の銚子方面へ切りかえ)の一環として1600年代初頭、現在の千葉県関宿から金杉(埼玉県松伏町)までの18kmが開削され、江戸川は誕生しました。

利根川の東遷 (利根川上流河川事務所資料)

江戸川をはじめとする利根川水系の整備によって、舟運路が整備され、江戸川は大都市江戸へ各地からの年貢米など物質を運ぶ輸送経路として繁栄しました。河川沿いには、河岸とよばれる港が整備され、大きな河岸は野田や松戸など、現在も流域発展の拠点となる独自の文化をもつ都市として発達しました。舟運は鉄道が発達する大正まで、江戸川の持つ最も大きな役割の一つでした。

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