週間ダイヤモンド社の2/28発行は、「農業がニッポンを救う」といったタイトルでした。
副題は「楽しみながら儲ける!日本のファーマー大変身」です。
Part1:未開拓な農業が日本の源泉 東京大学大学院教授 本間正義
Part2:脱サラ「農業入門」
Part3:設ける農業経営者、急成長
Part4:企業参入で農業は活性化する
Part5:平成の農政改革は実現できるのか
である。
近年、日本は物作り工業が国の基本であり、電化製品であり、車であり、ITであり、資源の少ないニッポンが
生き残るのは高付加価値製品の輸出であり技術力である。と教えられ国をあげて推進してきた工業立国ニッポン。
「農業がニッポンを救う」などという標語は一度も聞いた事が無かった。
ひたすら、護りに徹してきた農業が、深刻な高齢化や、過疎化、非生産性など、どう考えても勝てない仕組みにされてしまったこの農業がどうやって攻めに転ずることができるのだろうか。
本気で国はやる気があるんだろうか。標語には大賛成であるし、若者をアグリビジネスへ参加させるべく諸施策を展開すべきであろう。
かって、サラリーマン時代に農協へビジネスで通っていたことがある。
農協は農業生産に関わる全て、生産計画(中央会)から販売(市場)農業機材、生活品(経済連)、金融保険(共済会)まで、あたかも農民のために全てが準備されてあるかのような仕組みがあった。
が、見方を変えると全てにわたって農民を縛る仕組みになっていた、と疑わざるを得ないような思いをしたことがある。
自分が若かったことも多分にあるにせよ、私には上層部に行けば行くほど農民とは離れいく巨大な組織があるように見えたもんでした。あたかも優秀な役人(おかみ)が農民を巧みに指導指揮しているような、、、、そんな時代でした。
最近は農協という存在が薄くなって見える。それに合わせるように農業の期待が膨らんできた。
今や、「農業がニッポンを救う」と言われ、雇用の創出と言われ、楽しみながら儲ける産業と言われ、加工販売まで手がける農家が続出して、若者に夢のある仕事と認められる世の中になったのなら
いいことだ。
考えてみれば、ニッポンは農耕民族として弥生の時代からズーと農業を営んできた。
ただ、農地一つをとっても、借りることがままならないような実態でどうするんだという、まだ漠然とした不信感はどうしてもある。わずかな期間ではあるが、チョビットばかりアグリの世界を覗いてみて他人事ではない実感をいだけるようになった。自分と同様な多くの人が居ると思うと時代の変化を感じます。
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